旅人文化ブログなんでも版

旅ってなんだ? 旅人ってどんな人?
よく分からないけど、旅って面白い!
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怪我の功名

もしかしたら、書いたもの全部無くしちゃったかも。
久々に旅人文化のページを開いてみたら、データがすっかりなくなっている。
ずいぶん長い間いろんなことでせわしなくて、文章を書くという思考と作業ができない時期が続いていた。
大好きなビョークが東京にライブに来たというのも終わった後から知ったし、個人的な時間がどこかしらでストップしていた。

そんな感覚からようやく抜け出してきた気がして、またここに何か書けそうだなとこの週末にふと思った。いつもの週末と同じく地下鉄に乗り、九段下駅で乗り換える。この時に職業人としての自分が切り替わる。写真屋さんに切り替わった自分が、まずは写真のことを書いてみよう、と帰り道に思っていた。

と、張り切ってみたはいいものの、なんとこれまで書いたものすべてが出てこない。
もしや。。サーバーの期限が終わってしまって消えてしまったんだろうか。2006年にはじめてからそこそこ記事をたくさん書いた。内容はたいしたことけれど、それでも年月をかけて積み上げてきたものが、自分のうっかりでいつの間にか消えてしまうのは寂しい気がする。
冷や汗をかきながらレンタルサーバーにログインしてみる。自分が記録しているパスワードでうまく入れない。これはもう終わりか、と思いながら、パスワードの再確認をしてみるとこれができた。
 
結局、支払い期限が切れていて、一時的にストップという処置が取られていただけで、データ自体はまだ残っていた。いつもならコンビニ払いで支払っていたけれど、今回ばかりはクレジットで。すぐに回復して一安心。
 
部屋にたまっている何年も読まない本、着ない服、使わない物なんかと同じで、それが本当にないとダメなのかと思えば、全然そんなことない。実際に私は今までの人生で2回ほど自分の物理的な私物をほとんど失っているけれど、それで人生がダメになったかといえばまったくそんなコトはない。そしてその時のことを思い出してみて、失った「モノ」で寂しいなという感覚で覚えているのは、一度目は中学の時に吹奏楽でつかっていた楽譜、二度目は母親が若いときに着ていた着物。それ以外のもので寂しいなと思ったかどうかは思い出せないくらい。

ま、でも、絶え間なく続いている日常だと、そういう悟った気持ちもなかなか持ち続けられないもので、やっぱりなくなっちゃうといやですね。ということで、残ってて良かったぁ。

さて、写真の話。
私は撮影仕事の時は準備にあたって、まずカメラのセッティングとチェックをしてから、手洗いに行き、その後ストレッチという手順をほぼ規則正しく行う。その間はできるだけ人と雑談はしない。撮影に関することは話すけれど、別の話が入ってくると集中力が高まってこないから、せっせとストレッチをする。

けれども先週は研修生を教える任務があり、なんとストレッチをしないで撮影本番に入ってしまった。
そして、その撮影の翌朝。あらま、肩から腕にかけて痛みが。。ちょっと動かすだけで痛い。こ、これはっ、もしや、噂の四十肩っ!(汗)

さすがに30代も後半になると、体にもそれなりにガタが来てもおかしくないので仕方ない。でもやっぱりちょっとショックだなぁ。

しかし、です。
怪我の功名って、こういうことをいうのか、ってね。

右の肩や腕の痛みを抑えて撮影するためには、右肩にかかっていた負荷を左に持って行く必要がある。
そう思ってバランスを変えてみたところ、それまでのホールディングがやや無理があるというのが分かって来た。

そして左に極力重心をおくことで、以前フィルムカメラ時代につかっていたEOS1時代のバランスを思い出す。あのときはほぼパーフェクトで、カメラたこなんて出来なかった。マーク靴任發匹Δ砲同じようなバランスで撮影できないか、と構えてみる。なかなか難しいんだけど、そうしているとなんと写真自体が若干変わった。たったそれだけでほんの少し写真が良くなった。どう良くなったとかは感覚的なところもあるから説明が難しいんだけど。
 
経験とか、体に身についたものとか、習慣とか。
それがあるから仕事が長く続けられているんだけど。
でもこういう時に「身についたと思っていたコト」が、もっと良いものを創り出す邪魔をしていることにもなっていたりするっていうのに、日常では気がつかないものだなぁ、と思いました。

そういうわけで、そろそろ一人旅にでも出て、日常で忘れているコトを思い出しに行こうかななんて思っています。
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パソコンの遅さ、それから配管のつまり

「私、旅行中だから全然気にしないわ」
もう10年くらい前のパソコンでインターネットをしながら、ドイツから来た彼女はほんの少しだけ微笑んで言いました。

ゲストハウスのゲスト用のパソコン。
無料で使えるとはいえ、とにかく遅い。今時、そんなに遅いパソコンを見つける方が難しいかもしれないってくらいに遅い。

「メールをチェックするだけだから」
そう言って彼女はほんの1秒もイラっとしない。
「これが仕事してるんだったら、大問題だけどね」

今日より明日は、もっと早く、もっとたくさん、あれもこれも、とも言えるような日常を送っていると、ふとこうした会話で、旅に出た時の自分を思い出します。


さて、私が住んでいる部屋は、築年数が私よりも古いから、なかなか良い感じに年季が入っています。昔の建物では当たり前ですが、配水管が細くて、注意して使わないと詰まってしまいます。
長年、注意して、気をつかって水を流していたのですが、ここほんのしばらく注意を怠ったら、あっという間に詰まってしまいました。

配管工事も自分で経験済みなので、まずは見られる部分だけ、どこの配管がどのように繋がっているのかチェック。無理矢理に付け足してある配管もあり、どこが一番高くなっているのかなども、一斉に水を流してみてチェック。

それから、スッポンや、グリグリパイプ(正式名知らないです)を駆使して、あれこれやってみる。

そうこうしていると、つまりはまだ解消されないけれど、配管の仕組みやら、何がどこら辺で詰まっているのか、こっちでスッポンするとあっちに押し出されるっていうことが分かってきて、そういうひとつひとつが面白くなってくる。

つまりが解消されなくって、何が面白いのさっ!って思われそうですが、なんとなく、これってパソコン遅くてもいいよ、別にっていうのと同じような気がしました。

結局のところ、時間を無駄遣いするっていうのは、何の役にも立たないし、誰のためにもならないけれど、面白い。

旅なんてものは、その最たるものであるっていう風に思ったり。

あ、でもつまりが解消されないと困るので、そろそろ焦らなくちゃいけないな。あと、ゲストハウスのパソコンを新しくしなくちゃいけないな。これが現実の生活との折り合い。
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旅から帰り、日本の空気に慣れるまで

8月に1ヶ月の旅を終えて、もう3ヶ月になる。 途中、仕事でバンコクに行ったりもしていたけれど、基本的には旅に出る前と同様に東京での生活を日々送っている。そして予想通り、日本の空気に慣れるのに未だにとても苦労している。

約3年間パスポートが切れた状態であったので、今年は本当に久しぶりに旅行に出かけて、この一つ前の記事にあるとおり、ほぼ100%の時間を楽しみ尽くしてきた。 一方でこの反動は結構きついかもしれない、と考えてもいたけどそれは間違いなく、基本、東京では仕事を中心に生活をしている自分としては、なかなか旅人としての自分の気持ちをおさえていくのが大変なのですね。

仕事は嫌いなわけではないけれど、どうも目の前のこと、ひとつひとつに集中していくことができる時間が、この街での生活では難しいのではないか、と勝手に疑ってしまう。
これは自分の力量の問題なのか、あるいは環境の問題なのか、というところでも行ったり来たり。 ひとつは女性としての年齢の区切りがあることも大きいのだと思う。

事業を営んで、なおかつ旅をして写真を撮って、そういう生き方を10年以上。 自営業でなくとも、旅行者でなくとも、ここはいくらか考えるポイントなのでしょうね、きっと。

でも旅行が好きな人間として考えてみる時、世界中のどこに行ったとしても、今の生身の自分からは逃げられないということをよくよく分かっているからこそ、東京での生活との折り合い地点を見つけることにあれこれと苦心をする。
これは多くの旅行者が通過することかと思います。

旅人目線で書くと、このようになかなかこの社会は厳しく大変であるのですが、それでもやっぱり悪くはない、と思うのは、こんなにも平和であるということを受け入れればとても幸せな気持ちになれる、ということでしょうか。

最近、時々体を動かしに出かける、朝の公園で集まっているおじさんたちの会話を聞いていると、世界中、どこに行っても、おじさんたちはおじさんたちの会話をして、おばさんたちはおばさんたちの会話をして、それを毎日繰り返していられるということが、なんかすごいことなんだなぁ、という気持ちになるのでした。

さて今日も行ったり来たりしながら、そろそろ、おばさんかもしれない会話をしましょうか。
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1ヶ月、9カ国を駆け巡った旅を終えて。

旅の3日目。
グルジアのカズベキという街で、丘の上にある教会を見にトレッキング。
そして宿に戻り、どのタイミングだったか、私と長年ずっと一緒にいたGRがカタカタと音をたてて動かなくなった。

2005年秋に発売されて、私はその少しあとに購入しているから、もう6年以上は毎日毎日せっせと私の雑な扱いに耐えて写真を残してくれた大切な友人。でもこんなに長い期間、1度修理にも出されて、ハードな扱いに関わらずずいぶんがんばってくれた。

普通なら旅のはじめにカメラが壊れちゃったら、嫌な気持ちになるんじゃないかと思うけど、その時はなんとなく、この旅の間に壊れるというのがこのGRらしいな、と。
おつかれさま。

東京生活で窮屈に狭くなった私の気持ちをこの旅はあっという間に溶かしてしまい、3日目にしてほとんどのことのこだわらず、イライラもせず、この世界がとても愛おしくて、なにもかもを楽しめる自分になっていた。

私に残されたのはニコンのFE、予備機のFE2、FA。ただしこれはフィルムカメラ。完全なる遊びのため。

ライフワークの食べ物の写真などの記録用に、GRに代わるコンパクトデジカメが必要だった。幸いカズベキは1泊のみの予定で、その翌日にすぐにグルジアの首都のトビリシへ戻った。トビリシならデジカメくらい簡単に買える。

そういうわけで、ここにある写真はすべて、トビリシで購入したフジフイルム製の充電式で一番安いデジカメで撮ったものです。本当はサムスンの方が格段に安かったんだけど、日本人としてはやっぱりね。

この安いカメラはシャッターはおもちゃみたいに軽く、最後の方にはもう押せなくなるんじゃないかと心配だったけどがんばってくれました。

そして何より、写真を撮るということが私にとってどんなことなのか、あらためて感じさせてくれました。

その時の気持ちや感情の動き、そういう何かがほんの少し写っていればそれでいい。
そしてもしそれが大切な人たちにちょっとでも届くものであれば、もっといい。
手紙を書くように写真を撮ったらいい、そう伝えてくれた先輩がいます。

1枚でも2枚でもそんな大切な友人に宛てた手紙のような写真が撮れていますように、と今はフィルムの現像が出来るのを待っているところです。


7月6日に日本を出発して8月6日に帰国。
行った国は、アルメニア、グルジア、ウクライナ、モルドバ、ルーマニア、ハンガリー、スロバキア、オーストリア、イタリア。全部で9カ国。1ヶ月にしてはあまりにたくさんの場所を訪れたので、体力的にはとてもハードでしたが、すべての場所を楽しみつくしました。

今回はダイジェスト写真を載せます。(時系列じゃないです〜)


人生2回目のモスクワ空港。乗り継ぎ待ちが長くて、かなり大変だった。
前回のトランジットの時はパスポートを取り上げられて、個室に閉じ込められた嫌な思い出がある空港。
すっかりビルも新築されて、パスポートチェックも簡単で、10年以上の年月は世の中をすっかり変えるだけの時間なんだとあらためて実感。


エレバンの宿。
いつもながらルートは漠然と決まっていても、泊まる宿などはほぼノープラン。
タクシーの運転手にここを紹介してもらったんだけど、このコトがこの旅を素晴らしい時間にするすべての始まりだったように思います。
旅行中、インターネットで何かを調べるということは一切せず、持参したガイドブックで概要をつかみ、あとは現地の人にきいて情報を集めるということで前に進んで行きました。
ああ、これが旅だって、久々に思いましたね。ドラクエみたいなものです。


そうして現地で心を開いて行くと、たくさんの良い出会いがありました。
彼女たちはトビリシの街で出会った女の子達。一緒にロープウェイと丘を登りました。


全然予定外にものすごく苦労して行ってみたら山の上にレストランを作っているおじさん達が。大歓迎で、ウォッカやワインをたんまり振る舞ってくれて、山を下りるときは酔っ払って、それが最高に気持ち良かった。

そのあとにも前日知り合ったグルジア人のバーベキューに下山途中に遭遇し、飲め飲めと。安ワインとビールを10杯以上飲んじゃった(正確には覚えてません)
足元がおぼつかなくなるほどに泥酔。
宿に帰ると、他の西洋人のゲスト達が泥酔状態を見て大笑い。
それでも翌朝6時にはマルシュートカ(乗り合いバス)に乗って移動。ハードな旅です。


グルジアでは毎日トレッキングばっかりしてました。
標高が高いので、すごい体力がつきますよ。


マルシュートカ(乗り合いバス)には、街と街の移動でとてもお世話に。
運転手に頼めば、宿も教えてくれるし、次の乗り換えのマルシュートカへ電話をして待ってくれるよう伝えてくれます。
そういうバスって、本当にいい。


ウクライナのクリミア地方。地図を見て、これは一体何なんだ!?
細い道が110キロ続いてる。
これは行かなくちゃ、ということで車を1日チャーター。
道が悪くて完走は出来なかったけど、誰もいない海の美しさ!


12年振りのブダペスト。
美しいということは覚えていたけれど、再び、あまりの美しさに胸が熱くなりました。
まだ20代前半だった私の当時の気持ちもいろいろと思い出したりして。
代わらない景色がそこにあってくれることはありがたいことです。


長旅でご飯が恋しくなると、中華料理屋へ行くんですね。
12年前、何度も何度も通ったこのお店はまだ健在でした。
でも今はあの頃のようにすごく貧乏じゃないし、長旅でもないので、もっとおいしいお店へいっちゃいました。


何度か通ったカフェ・モーツアルト。閉店してました。


今回のテーマのひとつは、やりたいことをやりつくす。
円高も手伝って、常にその土地のおいしい料理を食べられるだけ食べました。
って、これは豪華な食事でなく、電車の食堂車の食事ですが(笑)
これでも、昔の貧乏旅行の時代には出来なかった贅沢。


旅に出るとなぜかコーラばかり飲むんですね。


今回の別のテーマ、行った国のお酒は、出来る限り飲む。
特にビールとワインは毎日たくさんたくさん飲みました。


2夜連続の夜行列車での移動。
1夜目は2等で、エアコンなし、窓も開かず、トイレの横でハエにたかられたりで散々。
反動で2夜目は1等の一番良い切符を購入。円高と東ヨーロッパだから出来る散財。
でも貧乏性で、寝るのがもったいなくて、食堂車でかなりの時間を過ごしちゃいました。

今回は1ヶ月の間に6回も夜間の移動。若い頃の貧乏旅行では、宿代を浮かせるためにそんなことばかりしてましたが、この年になるとややハードです。が、寝なくても毎日しっかり観光はしましたよ。


震災直後、ほとんどのお客さんがゲストハウスを出て行く中で、彼らはわざわざ大阪から東京に来てくれました。そのことがどれだけ私を元気にしてくれたか、今でも覚えています。
ヨーロッパに行くことがあれば会いに行くから、という約束を今回果たせました。
夜中ブラチスラバを一緒に散歩。美しかったです。


ブラチスラバからウィーンの電車では、疲れ切ってしまい、大きな口を開けて眠り込んでいました。チケットチェックで起こされて、隣のスロバキア人が、すごく疲れてるんだねえと声を。そこから話しが始まり、翌日のウィーンでマドンナのコンサートに行くということをきく。え?マドンナが明日くるの?

運良くダフ屋からチケットを安く手に入れて、観に行っちゃいました。
しかも彼女の表情などがしっかり見られる場所です。
マドンナ、最高!


マドンナのコンサートからホテルに戻ったのは1時過ぎ。
それでも朝は起きて、パッキングして、移動。
今回は民宿のソファーから5ッ星まで、あらゆるところに泊まりました。


ゲストハウスにボランティアに2年連続で来てくれたメアリーに会いにイタリアへ。
良いところだからおいで、って言われてたんだけど、想像以上にいいところ過ぎて、感激しっぱなしでした。


飛行機でバックパックがなくなって、メアリーの服を借りて観光。
この時はこの格好で7時間もひとりで歩きました。
ちょっとクレイジーな東洋人に思われている節はありましたが。


夜中12時くらい。野外でこんな盛り上がり。イタリアだなぁ。


お天気にすごく恵まれた旅でした。
もともと私は超晴れ女なので自信を持っていたのですが、再び証明です。


旅の最後の夜、日の出ならぬ、月の出を見ました。
丘のてっぺんで、はじめてあった人たちと一緒に。とても不思議な時間。
月が出るときも、その瞬間あたりはほんのり赤くなるんですね。
少しずつ、少しずつ、月が昇っていき、ひとつずつ、ひとつずつ、星があらわれる空。
幼い頃プラネタリウム少女だった私には、とびきりの時間でした。


空港に向かうモーターウェイ。朝日。


旅の最後に見送ってくれる人がいるというのは、なんて幸せなことだろうって思いました。


モスクワから東京行きの飛行機は、それまでと違いエアバス330。
その割には乗客が少なくて、隣に人がいないのを良いことにまずいワインをがぶ飲み。
ほとんど寝てないのに眠るのがもったいなくて、映画と景色を見てました。


もともとはこれが見たい、というのがこのたびの始まり。
ひまわりはどこにでもあるのですが、この畑は丘の上の斜面にあり偶然見つけました。
ワイナリーで6杯試飲したあとだったので、気分良く丘を登り辿り着いた景色。

やりたいこと以上のことをやり尽くして、今、日本の生活にどうアジャストして行こうかという、贅沢で難しいことで困っています。

でも思うのは、やっぱり旅は最高。
日本でも、働き盛りの人たちが、もっとこんな旅ができるようになると、楽しい国になっていくんじゃないかなって思ったりもするんです。

ああ、そろそろ会議に行かなくちゃ。
ちゃお。
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旅に出ます。

 3年ぶりに旅に出ます。

期限が切れていたパスポートを取り直し、飛行機のチケットを予約し、古いカメラを点検。
昨日の夜、慌ててバックパックにあれこれ詰め込みました。

私が仕事をする会社の目標のひとつ。
1年に1回、ヨーロッパのいくつかの国のように、1ヶ月くらいの休暇をとる。

さて、成田に向かいます。
乗る飛行機はアエロフロートです。

行ってきます!




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ミャンマーとインド東北部

バックパッカーの憧れの旅のひとつが「アジア横断」「ユーラシア横断」だろう。極東から東南アジア、そしてインドからイスラム・アジアに流れていく陸路の旅。

そのネックとなっていたのが、ミャンマーとインド東北部だった。少数民族問題などから、陸路での国境越えが禁止されていたり、入域できないエリアがあったりと、旅行ができなかったからだ。

そんな情勢が少しずつ変わりつつある。

まずはミャンマー。

政府は少しずつ民主化を進めており、これを受けてEUなどからの経済制裁が緩和しつつある。アウンサン・スーチー女史の軟禁を解き、政治活動も許可した。そして反政府少数民族の最大組織カレン民族同盟と停戦合意。

また、タイを中心とした投資によって、ミャンマー南部の街ダウェイに一大工業団地の建設が進められている。周辺の港湾・道路などのインフラ整備も行なわれ、その中にはダウェイとバンコクを結ぶ高速道路も含まれている。

そしてインド東北部。通称セブンシスターズといわれる、モンゴロイド系の少数民族が住む7つの州。

このうち一般旅行者が行けるのは3つの州(アッサム、トリプラ、メガラヤ)だけだったが、2011年からミャンマー国境沿いの3つの州(ナガランド、ミゾラム、マニプール)が正式に開放された。

外国人旅行者であっても、これまで取得が義務付けられていた(そしてほとんど発給されなかった)RAP(Restrict Area Permit)が必要なくなったのである。

この3州の最新情報と実際の現地の様子は、
「アジアの雑誌」2012年2〜4月号に掲載されたルポを見てほしい。

ナガランドやマニプールでは、実際にミャンマー国境まで行くことができる。もちろん現在は、まだ外国人の国境越えは許されていない。だか、これまで訪れることがほぼ不可能だったインド=ミャンマー国境に簡単に行ける時代になったという点では、バックパッカーにとっては非常に意味があると思う。

加えて、マニプール州の地元英字紙「サンガイ・エキスプレス」によれば、マニプール州都インパールと、ミャンマー北部の都市マンダレーの間で、国際バスの運行が計画されているとのこと。

これに合わせて、インパールではミャンマー領事館の開設が予定されている。すでにマンダレーにあるインド領事館では、ミャンマー人のインドビザ取得の簡略化が進められるのではと書かれている。記事にはミャンマー、インド両国民以外の行き来については言及されていない。恐らく両国民だけのサービスとして始まるだろう。だが大きな一歩だと思う。

このバスのルートとして挙げられているのは、インド国道39号線。ここはかつて、日本軍が地獄の戦いを展開して、多くの亡骸を各所に晒しながら撤退をした「白骨街道」として知られている。インパール作戦のときだ。

それ以降は少数民族ゲリラたちが、インド、ミャンマー政府と戦い続けていた危険地帯であり、とても旅できるようなエリアではなかった。それがこうして、とうとう開放の動きが見られるようになってきた。感慨深いというほかない。「ユーラシア最後の未開放地区」が、ついに旅行者たちを受け入れようとしている。


追記:「サンガイ・エキスプレス」のwebサイトに続報が。
http://www.thesangaiexpress.com/sangai-express-news.php?newsid=12843
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街と人生

 久々の更新です。すみません。

今日中野の南口にある、一匹一匹を丁寧に焼く、天然物のタイヤキを買って事務所に行きました。たいやきが焼きあがるまでに時間がかかるので、ベンチに座って、無料でいただけるほうじ茶を飲みながら待っていたのですが、この場所、以前は八百屋さんだったんですよね。

八百屋さんをやめる少し前には立ち飲み屋も夕方から始めて、私も他のお客さんと肩をつき合わせて飲んだなぁ、って、ふと記憶がよみがえってきました。

今はタイヤキ屋で、以前や八百屋さんだったということを知らない人もいるだろうし、そろそろタイヤキ屋がなじんできて、八百屋さんの記憶が薄れてきたかもしれない時期。

中野の駅の周辺の街は、そんな風に、あちこちお店が入れ替わったりして、そのたびに、あっ、新しい店だ!今度行ってみよう、と思ったりするわけですが、以前店をやっていた人にも、これから店をやる人にも人生があって、そのみんなの人生が今のこの街のひとつひとつになっているんだな、ともうすぐ中野住民として10年になるとしみじみ思ったりします。

ネコがウロウロしている鳥皮の酢の物が山盛りに出て来る焼き鳥屋もないし、昔から古かったなんていわれてた喫茶店クラシックもないし、私がまだ若かったときに小料理やスナックなどのママさんたちに接する機会をくれた45番街もあとひとつお店が残るだけ。いろんな人生と一緒に街の姿も変わってきました。

旅をして面白い街というのは、多分、そういう風にして、人の営みが作り上げている町なのかもしれない、と、ふと思ったり。

久々の更新ですが、タイヤキを買って思ったことでした。
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宮城、仙台の旅2日目 塩釜から松島に

塩釜から松島へ向かう遊覧船は、団体ツアー客が乗っていたこともあって、すごく賑わっていました。塩釜の街をとことこ一人で歩いていた時にはあまり多くの人を見なかったので、正直に言うと遊覧船もあまり人がいないのではないかと想像をしていたのですが、そんなことありません。


マリンゲート塩釜で船を待つ人たち。平和な風景です!
まだ私が行ったときには建物は修復されていない部分があり、展望スペースなどには行けなかったのですが、こうして遊覧船の運行を復活させて、お土産などを元気よく売るみなさんを見ていると、本当に人ってたくましいな、と思いました。
復興市なども積極的に開催しているのが、ホームページを見るとよく分かるし、観光で訪れることでも復興につながるということも感じられて、私のような何の考えも無く行ってすしを食べるだけというちょっとイタイ人間でも、それでもいいかと思えました。

塩竃 松島 遊覧船
しかしながらこの日は巨大台風が西日本を北上しているところで、海は大荒れ。入り江の中で普段は波もなく穏やかだということが全く信じられないくらいに、太平洋側に出た時には波しぶきが船にばしゃり。ツアー客などは、笑って楽しんでいるけれど、ひとり旅の場合には、きゃーと言ってみても気持ち悪い人だし、なんともこういう時の楽しみ方って難しいぞ、と心の中で思いながらウミネコや松島の島々を眺める。ウミネコの子供の目はすごく優しいのに、どうして大人になるとあんなにも鋭くなるんだろう?

塩竃 松島 遊覧船
大荒れでも景色は美しく、久々の海はやっぱり良い。初松島で、自分がどんな風に感じるのか楽しみだったのですが、純粋に良い景色だな、と。
途中、案内役のおばちゃんがジョークを交えていろいろ説明をしてくれるのですが、被災した場所のことなども笑いながら説明をしてくれたりして、すごく楽しめました。楽しむというと誤解があるかもしれないですが、そうして大変なことも笑い飛ばして、そして船の中でもお土産を売りまくるたくましさ。すごい! もちろん、今だってつらく大変な日々は続いているんだとも思いますが。。

今度は波の無い日にまた乗りたいな。


松島に到着。
たくさんの人たちです。これから塩釜に行くんですね。


ちょっと疲れ気味だったので、すぐそばにあったお店でずんだ大福アイス(?)とコーヒーで一休み。ふう。


瑞巌寺へ。この参道はすごく気持ちよかった。
本堂は大修理中、国宝庫裏と陽徳院お霊屋が特別公開していました。
ところどころ、ほんの少しだけ白壁が落ちているところがあったけれど、地震の影響はほとんど無い様子。入り口で案内などをしているお寺の方に建物の構造や装飾についてなどの話を聞く。昔のこういう建物は、地震にもびくともしないんですよね、とにこにこと笑っていらっしゃった。


これが台所だったなんて、すごいですよね。


その後円通院へ。
お庭が美しかったです。もっと若い頃は、あんまりこういう景色などに魅入ることも無かったのですが、お茶を習っているからか、歳をとるというのはこういうことなのか、なんだかいいなぁとぼーっとしてしまう。ふむ。


思い描いていた松島のプランでは、地図に書いてある足湯まで足を運ぶつもりで、そのためにタオルもキチンとバッグの中の取り出しやすい場所に入れていた。けれど足湯で足を癒す前に、もう足湯まで足を運ぶだけの力が残って無くて、今回は断念。足湯さん、ああ、足湯さん、足湯さん。松島での大きな心残り。次回は必ず、波の無い日に遊覧船に乗って足湯に入るんだと誓う。

松島海岸駅からの景色をぼーっと眺めながら仙石線が来るのを待つ。待っている他の人たちみなさん、なんだか幸せそうだった。

仙台に戻り、今回の最後の目的地になった、ブックカフェ火星の庭へ。何のプランも無く、仙台についた時、ツイッターでつぶやいたら、ここへ行ってください、と返信が来た。完全にノープランだったので、情報が集まり次第に予定が決まっていく。もちろん、いきますとも。

松島
ということで、店に入り、天井まで並べられている古本をあれこれ眺める。その中の1冊を購入し、カフェスペースで、チェコビールとキノコのピザトーストを頼む。本がたくさん並ぶ店内で、ピザトーストをつまみにビールを飲める喜び。歩き疲れた体が一気にリラックスしていく。

店主の子供さんが、踏み台に乗って背伸びをして高いところにある漫画本をとりだして、店の片隅で読みふけっている。なんて幸せな空間なんだろう、と旅人の私なんかは思ってしまう。
こういう幸せな空間を創るためには、毎日の地道な仕事の積み重ねが必要なんだろうなと思うけど、ふと立ち寄った人が、こうしてのんびり出来るという空間ができるのはすごいことだな。

あ、この写真の向こう側に、子供さんが本を読んでいるのがちょっとだけ見えます〜。

仙台
このオーナーさんご夫妻が、この空気を創っています。

仕事柄、旅人と接することが日常である私は、毎日が非日常と日常が入り乱れた時間を過ごしているような気がする。どこかに境界線みたいなものを作ってしまえば、それはそれで簡単になるんだろうけれど、そもそも、日常とか非日常とかそういうことは意識して分けるのではなくて、それぞれの人の中の心の中にクルクルと形を変えながらなんとなく存在するものなのかなとも思う。

結局のところ、長旅をしていた時には、旅そのものがすでに日常であったとしか言いようがなかったし、今、毎日働いていることが日常であるのかといえば、あまりにもめまぐるしい変化の中に身を置いていると、日常であるという現実感が薄れてくることもある。

どっちにしても、ま、こうして今日も無事にビールを飲める喜びを感じられているから、もうこれ以上のことはないな。と、毎日ビールを飲むたびに思うのですが。


お母さんと二人で写真を撮らせて!と頼んだけど、恥ずかしいよ。
でも良い写真を撮らせてもらいましたよ。ありがとう〜。


すっかりあたりは暗くなり、良い雰囲気のブックカフェ火星の庭

財布に入っている最後のお金で、駅弁とお土産を買い、新幹線へ乗り込む。日はすっかり暮れて、新幹線の窓からの景色はずいぶんと暗かった。以前はもっと明るかったと、他の乗客が話しをしているのが聞こえる。
でも私が10年以上前に冬の仙台を訪れた時も、窓からの景気が暗かったというイメージが残っている。実際はどうなんだろう。

東京駅について、中央線に乗り換える。
椅子に座ったとたん、なんだかずいぶん遠くに行っていたな、と思う。
でも混み合っている中央線に乗っていると、買ってきた古本とお土産を手に持っていなければ、仕事帰りのような気分になってくる。

あれこれ迷って行った仙台行きだったけれど、とにかく、行って良かった。
行く先々で、観光ですみません、とつぶやくたび、来てくれるだけでうれしいんだよ、と優しく笑顔で言ってくれたみなさん、ありがとうございます。

何か私にできることはないか、なんて思ってみたりして、勝手にあれこれ考えたりしていたけれど、結果として、今回の東北の旅はそういう頭の中でこんがらがった思いをほぐしてもらったということになりました。

震災の話になると少し涙がでそうになるときもあったけれど、今回の旅で出会ったみなさんは、ご飯を食べて、お酒を飲んで、本を読んで、仕事をして、毎日生活を営んでいて、このひとりひとりの日々の営みこそが、復興というものへ大切なことなのかなと思いました。

ひとりでも多くの人たちが、日々の営みに戻ることが出来ますように願うことしかできませんが、本気で願っています。

そして、思ったこと。やっぱり旅は良い!
仙台も、塩釜も、松島も、元気に復興に向かっているすばらしい観光地。
どうぞみなさんも、時間があってどこかに行ってみようかなという時には、ぜひ!
今の時期は、秋刀魚の寿司、絶対です!
国内の旅 | permalink | comments(0) | - | pookmark

宮城、仙台の旅2日目 塩釜へ

仙台の旅2日目。

静かな仙台の夜、久々の男女共同のドミトリーでの寝心地はなかなか良く、朝までぐっすり眠る。
でも、このドミトリー。多分、世の中の半数以上の人は体験をしたことがないのかなと思うのですが、こういう環境でもへっちゃらであると、無理だよ無理!っていうのは、いったいどのあたりで分かれるのでしょうか。育った環境でしょうか。

私が初めて泊まったドミトリーは、学生時代に友人と旅行に出かけた時に泊まったユースホステルだった記憶があります。なぜか記憶が曖昧で、いったいどこに行った時だったのかなどの詳細は覚えていませんが、リビングで鉄道オタクのお兄さんたちと夜話し込んだことと、古い建物の薄暗い空気感はしっかりと心に残っています。

それからしばらくして、10代の後半、オーストラリアに行って行き当たりばったりで見つけたキングスクロスの安宿のドミトリーが、次のドミトリー体験。このときの部屋は女性だけで、英語もろくに話せない私に親切にしてくれた同室の女の子たちとの思い出があります。

でも別の部屋に滞在していたニュージーランドの男の子につきまとわれて、それがいやで出て行くことにしたのですが、今思えば、私も本当に若くて純粋だったんだなと笑えちゃいます。今なら、そんな風につきまとわれても全然動じたりしない。その前に、やっぱりそういう隙みたいなものが私のすべてにありありと存在していたんだとも思う。ま、今ではそういうことは関係なくて、そんなことで困ることも無いのですが(笑)年齢を重ねるとはすばらしいことです!

その安宿を出て次に行ったのは、ジョージストリートというメインの通りにあった、今は無きシビックホテルという安宿。ものすごく大きな部屋に二段ベッドが延々と並んでいるというすごいところで、男女共同という概念なんていうことよりも、もうあらゆる人種や種類の人間が集まっているという不思議な場所でした。

でも結局私はそこに1ヶ月ほどいることになり、いろいろな人たちとの生活を楽しんだのでありました。あの小汚く、どこかの収容所のようなそんな場所が、なんとも居心地良く感じていたのは、やっぱりそこに泊まっていた、あるいは住んでいた人たちが面白かったからですね。そこで出会った日本人の女性とは今でも連絡を取り合っています。インターネットが無い時代時代としては、なかなかすごいことです。

ちょっと話がそれましたが、これが私自身にまだ純粋さがたっぷり残っていた頃のドミトリー体験で、これは今でも旅をするときのひとつの自分の基準みたいなものになっているのでは無いかと思います。

さて、仙台での朝。
目を覚ましてから、そのまま天井を見ながら頭を整理する。今日はまず、こうしてああして、どこに行って。1階に行って、フリーのコーヒーをいただき、オーナーさんに挨拶。静かなのんびりとした空気が流れる朝。縁側に座ってぼーっとするのが気持ちよい。個室に泊まっていた女性も縁側に出てきてたばこを吸う。ライブで仙台に来たんだそう。

これが長旅の途中であれば、もう、こうしてのんびりと1日を過ごすんだろうな、と思いながら、チェックアウトの準備。

塩釜
宿や萩さん、お世話になりました!
とても良い安宿でした。

さて、まず向かうは塩釜。
昨日噂に聞いた、震災で被災したけれども再開をした仲買市場へ。
観光マップのコピーをいただいていたので、行けばなんとかなるということで、仙石線に乗り込む。

塩釜
本塩釜駅に到着。今回の旅で、どこを歩いても、がんばろう東北の文字が。ここではハンカチでつくったパッチワーク(?)が。

塩竃


さてとりあえず、地図に観光案内所と書いてあるので、探してみる。うーん、ないなぁ。JRの改札のお兄さんに聞いてみると、無くなったんですよ、とのこと。
この先を行った建物の中に、簡単な案内所みたいなのはあるらしいんですけど。ということで、その建物に向かうことに。

ああ、そんなこと聞いちゃいけなかったなぁ、とちょっと思いながら、歩き始める。

駅のすぐ前のところは、すごくたくさんの人だかり。え、観光客が団体で来ているのかなと思ったのですが、良く見てみると選挙活動。
その後も街を歩く先々でいろいろな候補者が演説などしていましたが、やはり公約は「速やかな復興」。

塩竃
信号はまだ動いていない場所が多くて、警察官が交差点の真ん中で誘導していました。ちなみに神奈川県警の人たちが派遣されているようでした。写真の向こう側のたくさんの人が選挙活動に集まっている人たち。
信号はまだ動いていない場所が多くて、警察官が交差点の真ん中で誘導していました。ちなみに神奈川県警の人たちが派遣されているようでした。写真の向こう側のたくさんの人が選挙活動に集まっている人たち。

結局、観光案内は行っては見たものの、まだ朝が早く開いてなかったので、とにかく歩くということに決定。地図で見る限りではそれほど遠くないみたいだし。

と、歩き出したのですが、仲買市場まではかなりな距離がありました。太陽がじりじりと熱を発する下で、とにかくひたすら歩く。
街を歩いていると、何か不思議な気持ちになる。
被災して、あちこちが破壊されていたりしている。傾いた電柱、骨組みだけの家。
震災直後は本当に大変だったんだろうな、と想像はできるけれど、ほとんどのすべてはきれいに片付けられていて、人々はそこで生活をしている。




昔ボスニアを旅したときのことを少しだけ思い出す。
街の中の建物も道路も銃弾の跡ばかり。子供たちは戦争ごっこをしている。でも夜映画館に行ってみると、満員御礼立ち見もあり、みんな声を上げて笑って映画を見ている。人々はそこでたくましく生活を営み楽しんでいた。


仲買市場に到着。
外にはお土産屋さん、たこ焼きの屋台なども出ている。
駐車場には多くの車が停まっていて、ずいぶんと賑わっている様子。車で来られる距離の人たちが、食材を調達しに来ているみたい。

ぐるっと市場を見学とちょっと買い物。ところどころ空いている空間があるけれど、たくさんの魚などが並んでいる。9月から解禁になった秋刀魚は、台風で船が出せず、まだ宮城産としては売られていないんだよ、でもこっちのやつはおいしいよー、とおじさんが説明をしてくれる。朝ご飯を食べてない私はあちこちで試食。何もかもがおいしいよー。

私は乾物や佃煮などをお土産に購入したのだけど、あちこちで、箱に入れてクール宅急便で送れるから大丈夫だよ、と新鮮な魚なども勧められた。みなさんしっかりと商売をしている。かつて、ここが全国から来る観光客で賑わっていたんだなぁ、とそのやりとりから感じられる。津波に襲われてから1ヶ月あまりで競りを再開した塩釜の仲買市場、ぜひ、行ってみてください〜。


さて、また歩いて駅の方へ戻る。本当はバスがあるらしいけど、いまいち使い方が分からないから、もう腹を括って歩く。

おすすめされていた、すし哲には、11:00開店の10分前くらいに到着。すでに二人の女性が外で待っていた。震災前にはこのベンチでたくさんのお客さんが席を空くのを待っていたそう。


上寿司とあら汁。


これが一番おいしかった。秋刀魚の握り、あまりのおいしさに思わずおかわりしました。そしたら、はじめは背の方を出してくれて、おかわりのほうは腹の方を出してくれました。


よく見ると、メニューが書いてある右上に津波到達点が。

塩竃
これは震災直後のお店の様子の写真。
乙武洋匡さんがこのお店の常連さんのようで、震災について書いた本にこのお店が取り上げられたものを撮らせてもらったものです。

震災当日、大津波警報が発令されたのは、ちょうどお昼時期が終わったころ。みなさんで手分けして、津波が建物に入ってこないように取り付ける板を外に設置し、ビルの上に避難をしたんだそうです。それでも津波は建物の中に入って来て、お店の中は上の写真のように。津波のすさまじさがよく分かります。

カウンターの私の隣の席には、富山から来たという夫婦二人が座って寿司をほおばっていました。少し話を聞くと、前日に仙台で息子さんの結婚式があり、そのついでにおいしい寿司を食べたいということで塩釜まで足をのばしたそう。

息子さんはまだ二十歳を少し過ぎたくらいで、今回の結婚は急に決めたとのことでした。震災をきっかけに結婚を決めたんだそうです。家族として生きて行こうと。結婚相手の彼女は石巻の人。


朝ご飯も我慢して待ちに待った鮨をたらふく食べたあと、すし哲の大将に、塩竃神社に行かなくちゃダメだよ、と言われたので、急遽、予定を変更。神社まで歩く。炎天下の中すでに2時間近く歩いていたので、さすがに私も若干ばて気味。そして、なんと塩竃神社はものすごい丘の上にあるのでありました。
でも、途中でおばあちゃんがにこにこと挨拶をしてくれたり、森が青々としている空気が気持ち良かった。


ひとり若い女性が、長い長い祈りを捧げている姿。
あんなにも熱心に祈っている人を間近に見たのは、久しぶりな気がする。

塩竃
確かに塩釜に来たら塩竃神社に行かなくちゃいけないですね。とてもよい高台にあり、神社というよりもその場にいるだけで気持ちがスッとしました。

そんなすがすがしい気持ちで長い階段を下りたんだけど、さすがにバテ始めたのでバスにでも乗ろうかと考えて、地図を広げる。近くに周遊バスの停留所があるのを見つけて、そこへ向かう交差点の信号待ちで、なんとそれらしきバスが前を横切り、停留所らしき場所に停まって、そして走っていった。

今、見たものはなんだ!とくらくらする頭を抱えて、その停留所らしき場所に行くと、やっぱり間違いなく停留所。時刻表を見てみると、次に来るのは1時間後。。はい、歩きますよ。

とぼとぼと駅の向こうの遊覧船乗り場へ向かう。町並みは面白いのだけど、何しろ暑さにやられ始めている。でもこうなったら歩くしかない。

途中でタクシーが通り過ぎるのを横目でおいながら、ひたすら歩く歩く。多分、それほど遠い距離ではなく、暑くなければ走っても良いくらいだと思うんだけど。

それでも、前に進めばちゃんと到着するのである。

やったー!マリンゲート塩釜。

が、今度は、目の前で船が出て行くではありませんか。
次の船は1時間後。ま、これも行き当たりばったりの旅の醍醐味であります。

ということで、行き当たりばったりの塩釜の旅でしたが、自分なりにはめいいっぱい楽しんだのでありました。でも今度来るときはバスを使おう〜。

長くなってしまったので塩釜〜松島は次で書きます。






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仙台の旅の写真

前回は仙台の旅を追って書きましたが、初日の写真をもう少しだけ。


仙台駅周辺は、とても整備されている街並み。
以前訪れた時にはもう少し雑然としていたようなイメージがありますが、実のところあんまり覚えていません。。すみませんー。
商店街でササニシキアイスを食べたのは覚えてるんだけど。


夜の仙台駅。


東北きっての歓楽街、国分町。
土曜日の夜、賑わっていました〜。
やっぱり歓楽街はこうでなくちゃ!


ショッピングモールに響く歌声。
歌のある人生は豊かです。

では、次は宮城の旅2日目を書きます。


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