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旅ってなんだ? 旅人ってどんな人?
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タリーズ店員との会話で考えたこと

昨日、30分くらい時間があいたので、タリーズコーヒーに行ってブレンドコーヒーを頼みました。日曜日のオフィス街のタリーズということで、お客さんはあまりいなくて、店内は結構静かです。

そんな感じで、キャッシャーのところで、「ブレンドSで」と頼んだら、店員さんが新人さんで、しかも外国の人で、「ブレンドって。。エーと、本日のコーヒーでしょうか」と。

横でベテランぽい人が小声で指示をして、新人の彼女は指示を聞きながらあたふたしながらも一生懸命に接客をしてくれました。

なんとなく、自分も10代で外国に行って、テイクアウェイ(オーストラリア英語ではテイクアウトでなくこういうんですね)の店でアルバイトしたときのことを思い出しました。あのときは私も結構緊張してたかなあ。英語もあんまり出来ないし。

それで、コーヒーを受け取ってから、「どちらの方なんですか?」と聞いてみると、「えっと、あ、韓国です」とうれしそうに答えてくれたので、「がんばってください」と私もちょっと恥ずかしいながら伝えました。横にいたベテランの人も、そのやり取りですごく和んだようでした。

と、なんか、妙な文章になってしまいましたが、こういうやり取り、会話っていうのがなんとなくわざとらしいような感じがするのは、どうしてだろう?って、実はそのあと妙に考えちゃいました。

シドニーのテイクアウェイの店で働いている時には、立地によっても多少の違いがありましたが、お客さんに話しかけられるというのはどちらかというと普通で、メニューについての質問とか、お勧めは?みたいな会話から、混み合ってないときにはもうちょっと一般的な会話もよくありました。だいたい自然にそういう会話が出来るんですね。

でも、そういう同じようなことを東京でしようとすると、なんだかわざとらしくなる。どうしてだろう。

土曜日、仕事に出かけるためにアパートの階段を下りていたら、1階にあるKUMONに子供がお母さんに連れられてくるところですれ違ったので、普通に挨拶をしたら、怖いものでも見るみたいにじっと見られて、少しして小さな声で挨拶を返してくれました。同じアパートで利用しているんだから、挨拶くらいした方が気持ち良いと思うんだけど、このご時世、誰が子供をさらっていくかわからないからか、挨拶する人の方が怖い人みたいな感じなのでしょうか。

他人同士がちょっとした挨拶や会話をすることだけで、たったそれだけでも、この奇妙な閉塞感のようなものがどこかに行ってくれるような、そういう気がするんだけど、なんて週末からちょっと考えています。
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この記事に対するコメント

私もつくづく同じようなことを感じています。
日本人は島国で、他外国との付き合いも下手というかする習慣がない→そのため国内の日本人同士でも家族・知り合いしかコミュニケーションをとらないのではないかと思っています。同じグループ内でしか。ストーカーとかの心配を敏感に意識しすぎるとこもあると思いますが。なんか不器用ですよね?

私は他の人とのコミュニケーションはとりたい方です。
エレベーターのボタン押しとかデパートや駅でドアを開け、見ず知らずの女性を先に通してあげるとか。もコミュニケーション。
ただ、そういう事をしてあげても「ありがとう」とかのさり気ない気軽な返しがあまりない。プラス笑顔でお互いその一瞬を気持よく。根っからのぶっきらぼうな体質なのかしら。

仕事上とかの本当に必要な機会でしかコミュニケーションをとらない、という合理的な姿勢からとも考えられますがいまいち納得いきませんね。

その一瞬のコミュニケーションから新たな知識・見識が身に付くこともあるでしょう。

コミュニケーション不足が対外交渉力にも影響することもありそう。


話はとびましたが、本当に必要最低減の会話しかしないのは寂しいですね。

結構、潜在的にはもっとしたい人、日本人でもいるのでは・・・。

 




HARUTA AKINORI | 2010/12/19 2:55 PM
>HARUTA AKINORI さん

コメントありがとうございます。2年前の記事へのコメントでしたので、自分がその時に感じたことをあらためて思い出して、不思議な気持ちになりました。

確かに日本人にはなんとなくそういう気質があるのかもしれないですね。あるいは東京という都会に住んでいるから、そういう感じがするのかもしれないとも思ったりもします。

最近少し考えていることに、
世界中で爆発的に使われているフェイスブックはどうして日本ではあまり使われないのかな、ということがあるのですが、同じような仕組みのミクシィと比べて、フェイスブックのとても外向きでオープンな感覚が、やはり日本人には肌に合わないのかなぁ、それとも別に理由があるのかな、と、なんとなく日々考えています。

HARUTAさんがコメントで書かれている、普段なにげなくされているような、街でそっとドアで押さえてくれたり、ささやかな心遣いを感じる時には、都会の雑踏の中でもほんわり幸せな気持ちになります。

そんなことを書いていたら、オランダで10歳の男の子がそっとエスコートをしてくれた時のことを思い出しました。本当に自然で、男性は女性を大事にするという感覚が身についているなあと驚きました。

でもそれに驚いている私を考えてみても、ある意味日本では、女性もなんとなく、意固地になりすぎて、親切をスマートに受ける感覚も薄れているのかもしれないですね。

ちょっと話がそれましたが、コミュニケーションについては日々考えされられます。
まりりん@旅人文化 | 2010/12/23 2:50 PM
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