旅人文化ブログなんでも版

旅ってなんだ? 旅人ってどんな人?
よく分からないけど、旅って面白い!
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欧米諸国ではという括りはちょっと乱暴かと。

今朝、出かける前にテレビをつけていたら、セコムがセキュリティー万能のマンションを売り出したという新聞記事を元に話をしていました。その敷地内に入るにも、住民でなければ簡単には入れないそうで、なんとなく南アフリカの白人居住地域を思わせるような雰囲気です。

当然、この場合には金銭的に余裕のある人が入るということになるかと思いますが、いろいろな人がコメントをしていて、そういう仕組みで子供たちが妙なエリート意識とかを持たなければいいんだけど、といったような心配なども含まれていました。私もそれはきっと起こりうる問題だなあと感じます。

あと気になったのは、欧米ではそのようなセキュリティで守られた居住地域というのが今では当たり前になっている、というようなコメント。実際のところ本当にそうなのかな?と考えていました。

今年の夏にヨーロッパに行って、友人の家を泊まり歩いたのですが、その中でオランダの友人の家がとても印象的でした。

お父さんとお母さんと子供二人という家族構成なのですが、お父さんとお母さんは事実婚で法的な意味での結婚はしていません。それはもうかなりあちらでは当たり前のことですが、彼らが住んでいる場所は、それまで海だったところに砂を運び込んで新しく創り出したエリア。お台場みたいな感じでしょうか。

そこはかなりスタイリッシュなマンションが並んで、彼らが住んでいたマンションには共有のかなり大きな庭(公園みたいな)もあったりして、とても素敵な環境でした。(難点は新しくできた街という感じが否めないということです。)
オランダのマンション
これが共有の庭です。このマンションの住民たちだけのための庭で、子供たちが走り回ってました。

友人がそのマンションのエリアなどを案内して周ってくれたのですが、同じように見えるマンションなので、同じようにそれなりに働いてお金を稼いでいる人たちが住んでいるのかと思っていたのですが、実際には低所得者も住んでいるとのことでした。

その仕組みは国が作っていて、ひとつのマンションのいくつかのユニットを、公営の住居として低所得者に提供をしているんだそうです。
日本だと、
「それは不公平だ!ちゃんと働いて稼いだ人だけがそういう良い場所に住む権利があるんだ!」
なんていう話になってしまいそうですが、友人に聞いてみると、
「私が若かったときにはそういうマンションに安く住んで、そうして自分の道を切り拓いてきたんだから、今度は自分たちがそういう人たちの分も負担してあげるのは当然なのよ」
と語っていました。

オランダは移民がたくさんいる国でもあるので、彼らが自然とみんながオランダ人として暮らしていくためにも、さまざまな種類の人たちが同じエリアで生活できる空間を作って、子供の時代から人種をこえて交流をしてもらうという目的もあるようです。

ちょっと長くなりましたが、どちらが良いのかという問題は別にして、欧米諸国が一概に所得によって住むエリアが分かれているのが近年では当たり前になっているという話は、ちょっと乱暴な括り方だなあと思ったので、ちょっと書いてみました。

オランダのマンション
ちなみに、マンションの中はこんな感じで、大きな窓が印象的です。アムステルダムでは、自分たちの生活を見せるという文化があり、普段はカーテンなんて閉めないので、いつでも窓から人々の生活が眺められます。

オランダのマンション
 エリアの近くにはこんな自転車道もあって、私も近くの町まで一緒に走りましたが、これが本当に気持ちよかったです!日本は坂が多いから大変だけど、自転車道が整備されたら、いいですよね。

ああ、写真を見ていたら、また行きたくなりました。ちょうど、昨日友人たちからポストカードも届いたばかりなので、懐かしいですー。
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WBCについて、ちょっと

ここで、こんなことを書くと、また怒られるかもしれないなあ、と思いながら、やっぱり書いてみます。

WBCが盛り上がっていて、私も楽しく見ております。たった今、5回の表、青木がヒットを打ったようです。(ここにはテレビもラジオもないので、ネットでの速報で見てます。)

昨日はアメリカに勝って、同じくネットの速報で見ながら、よし、やったーなんて喜んでました。

夜帰宅して、遅い夕飯を食べながらスポーツのニュースを見てたら、その取り上げられ方のあまりのすごさに、ちょっと違和感を感じてしまいました。素直に喜べないひねくれた性格だなあ、と自分で思いながら。。

戦争時代のことから映像を作って、いかにアメリカが憧れだったのか、アメリカに勝つということが嬉しいことなのか。戦争体験者にインタビューなどもして、その喜びをテレビを通じて表現していました。

その年配の方たちの喜びをおかしいだなんて、これっぽっちも思いません。本当に、嬉しいことなんだなあ、きっと、と想像します。でも、それをテレビでああいうカタチで表現をする必要があるのかしら?とひねくれて思っちゃうのです。

こういうことに違和感を覚えるなんていうと、だから若い人は!、とか戦争を忘れちゃいけないとか、いろいろ言われそうですが、やっぱり、そこまで卑下しなくとも、あるいは外国と妙な隔たりを作ってしまうこともないのではないかって思っちゃうのです。

第一、日本では(多分韓国でもそうでしょうか)、普通のニュースのトップで取り上げられるようなお祭り騒ぎになっていますが、アメリカでは一体どこまでこのWBCについて普通の人が関心を持っているかというと、実際に聞いたわけではないので本当のところは分かりませんが、でも日本のこの熱狂的なものとは違うのではないかなあと想像します。

(と書いているうちに、いつのまにか、韓国に追いつかれてます。。ああ。)

選手の方々は、相当なプレッシャーで懸命に戦って、それは本当にすごいことだなあと思い、純粋にスポーツとして楽しんでいるのはいいのですが、何というかか、やっぱりマスコミの取り上げ方でしょうか。。この違和感。

ああ、決勝戦の最中に、こんなことを書かなくとも、、と思いながら、恐々書いてみました。はい。

ああ、6回も点を入れられなかった。。ふう。
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バンコク在住の友人との再会

このところ、更新が少なくてすみませんです。
雪の日に飛び交う花粉でさえも、くしゃみがしばらく止まらなくなるような状態でおりまして、それを押さえるために薬を飲むと、この頃世の中ではやっている大事な場面でちゃんと話ができないような社会性のない人間となってしまい、日々の仕事をせっせとこなすのに必死な日々です。

今日、滞在中の友人が3年すこしぶりにちょっとだけ帰国して、事務所に遊びに来てくれました。その彼とはもうかれこれ10年以上の付き合いになるんじゃないかと思うのですが、久々に会ってみるとやや外国人ぽくなっていたので、うむむ、と思いました。確かに、同一人物なのですが、東京なんかを歩いていると、この人はいったい日本人なのかなあ、と疑われるような雰囲気です。

服や髪型は、まあ、普通なのですが、やっぱり何かのオーラがある。

さて、こういう経験は実は初めてじゃなくて、以前は自分自身もそうであったことがあるし、長期の旅から帰国する友人たちと再会したときにも何度も感じたことであります。

このときに、いつも共通しているのは、
目が澄んでいる、
冬でも日に焼けている、
まとっている空気がまったりしている、
食券を買う自動販売機の使い方にとまどったりする

など。

今日会った友人は、話を聞いていると、もう、すっかり日本が外国になっちゃっていました。タイがホーム、日本はアウェイ。

こういう友人と話しをしていると、すっかり働き蜂の日本人になっているこの頃の自分が、不思議な存在に思えてきます。あれれれれーって。

それと同時に、日本の社会のいろいろな意味ですごーいところをあらためて感じることになります。

そしてそして、さて、普段も心がけているのですが、さらに肩の力を抜いてもいいのかなあって思うのでした。
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茶道と旅の気持ち

新年のイベントとして、やどカフェにてカフェ茶会を開きました。
写真などはやどカフェページで→
http://cafe.tokyo-information.jp/?eid=800218
http://cafe.tokyo-information.jp/?eid=800206

私自身は今年の新年で茶道を始めて4年目となりますが、この間にお点前と言われるのの2つが終了できて、そして今3つ目を習っているというわけですが、それまでに習った2つさえも、今すでにすっかり忘れちゃっていて、一体、この先どうなるんだろう??と考えてしまいます。

でも、そう思いながらも、こうして3年間、淡々と続けられているのは、楽しいというか、お稽古そのものがいつもなんとなく良い時間であるということがいえるのかなと考えています。

友人でお茶を習っていた人などと話をしていると、先生に怒られてむいてないと思ってやめちゃったよーとかいう話を聞いたりして、私はぜんぜんできるわけでもないのに怒られるってことがないので、先生によってもずいぶん違うものなんだなあと思います。

でも、茶道って、向き不向きの世界とは無縁に思うんだけど、起こられて向いてないって思ってやめちゃうっていうのは、どこか、茶道の世界にも権威というかなんか難しいものがあるんでしょうか。。あんまりこういうことを書くと、たたかれそうなので、ここまでで。

私が3年間で感じたことは、ここが旅人文化のブログだからこじつけるわけではないですが、すっかり日常と離れた時間を持つという意味では、旅をしている時の気持ちというのと、茶道をしている気持ちと言うのは似ているんじゃないかなあと思います。

幸い私は優しい先生についているので、のびのびとお稽古をさせてもらって、お稽古の後は普段の日常のあれこれからすっかり開放された気分になるので、プチ旅行にでも出かけた感じです。

でも違うのは、大体仕事が終わって疲れた時間にお稽古に出かけるのですが、その出かけるまでがしんどいっていうところ。ああ、面倒だなあって思っちゃう。旅だと、その準備とか出かけるまでも楽しいんですよねえ。

そんなわけで今年も茶道はマイペースで淡々と続けて、できれば少しでもどこかに旅に行きたいなあなんて思っております。

今年もよろしくお願い致します。
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お茶会と外国人

先日、とあるお家の武家流のお茶会に招待されまして(格式ばったものでなくて、ざっくばらんなお茶会です)ちょっと緊張して行ってきました。

2年ほど知り合いの表千家のお茶の先生からお稽古を受けているのですが、何しろ、忙しい中で通っているので1ヶ月も期間が開いたりで、なかなか上達せずにここまで来ていて、しかも、週末はほぼ仕事が入っていて、お茶会に誘っていただいても一度も行くことができないでいたので、これがお茶会デビューとなったのでした。

着物ももう長い間着ていないので着付けられる自信がなくて、スーツを着ていったのですが、なんと、必要な道具一式が入った小さなバックを持っていくことをすっかり忘れて、もうあたふた。

もう、仕方ないなとあきらめてお茶室に入ると、皆さん結構カジュアルな格好をしてる方もたくさんいて、そしてその中に一人ラフな格好をした外国人がいたので、ああ、良かったぁとかなりほっとしました。

誘われるままに行ったので、そのお茶会がどのようなものなのかというのは、そのときにようやく分かったのですが、まったくお茶を知らない人でも気軽にお茶室で楽しめるように、という趣旨で開かれているものだそうです。

とくに、格式ばって敷居が高いと思われがちなお茶の文化を、もっと一般に広めるにはどうしたらよいのか、ということを考えていらして、そこでは足を崩しても、お茶碗の扱いが分からなくとも誰も批判する人はいなくて、丁寧に教えてもらえます。

その外国人も正座が大変で、座椅子を貸してもらいながら、楽しそうにお茶碗をまわして飲んでいました。飲む前にお茶碗を回す、ということはどうも知っていたようで、どういう風に回すんですか?と自分から聞いていました。どこかで映像でも見たのでしょうか。

彼がいたおかげで、私もリラックスしてお茶会デビューができました。途中で何度も足を崩させてもらったりして、あんな風なら、もっとみんな楽しくお茶会できるんだろうなと、いろいろ考えることもありました。

お茶の空間というのは、ある種、ひとつの世界観・宇宙のようなもので、ああいう、現代の日常ではどうも役に立ちそうもないことこそが、本当は日常の中でとても大切な時間を提供しているのではないか、と思ったりします。

外国の人たちが、考えてもよく分からないひとつひとつの決められたムーブメントの中に、何らかの美しさや感動を覚えることがあるとすれば、きっと、そういう体験は国籍などは関係なく、深い部分で感じられるものなのかもしれません。

このことについては、私ももうしばらく研究してみたいなと思います。
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外国に行くと分かる日本の良いところはたくさんたくさんあります

この頃、ここのブログでは外国のここがいいんだよね、という話が多くて、どうも日本のことを批判的に捉えているのではないか、と思われていそうですね。

でも、旅に出たり外国に暮らして感じることとしては、外国の文化の良いところがたくさんあるんだけれど、その反面嫌だなあと思うところも。そして日本の良い部分、そして嫌だなあと思うところ、といったように客観的に感じられるあらゆることが含まれてきます。

日本で暮らしていると、どうしても社会の窮屈さというものに不満がでてきて、さらに旅とは違う「生活」していく日々の中では、遠い国での旅の日々に思いをよせて、どうしても日本のことを批判してしまうということになりがちです。そのことで、ああ、なんだか自分は嫌だなと思ったりもします。

だからというわけではありませんが、日本は良いところがたくさんあるよ、と今日はちょっとだけ。

まず、しばらく前にも、自動販売機のことで書きましたが、この国の治安の良さというのは、信じられないほどにすばらしいということは、外国に行ったことのある人ならいくらかでも感じるし、日本に来た外国の人たちも常々口にしています。

この頃では、大変な事件や事故をニュースで取り沙汰されて、あたかもこの国の治安はスパイラル的に悪くなっているかのように言われています。確かに、今までにない犯罪だとか、通り魔だとか、怖い事件は多々起こっていますが、それでも、やはり諸外国に比べれば圧倒的に安全な国だといえます。

この安全は、多くの人が周りの人たちを信じて、日本人独特の共同体というようなものが機能していることが、ひとつの理由になるんじゃないか、と個人的に思っています。しかしこのところ、誰を信じたらよいのか分からない、自分の身は自分で守らなくちゃいけない、といった感じになっているような気がして(たとえば、すぐに訴えてやる!みたいな感じ)それはかえって悪い方向に行ってしまうんじゃないか、となんとなく感じているところです。

確かにボーっとしていて、何かに巻き込まれたりでもしたら、ボーっとしてたあなたが悪いのよ、となってしまいそうですが、でも日々緊張してるよりは、少しボーっとして生きられたら、もうちょっとストレスも減って、子供たちものびのびとして、悪いことも減っちゃうんじゃないかな、と、まあそんなに単純なものじゃないのかもしれませんね。

せっかく、夜中でも酔っ払った女ひとりが道を歩けるこの安全な国なんだから、これからもそうあってほしいな、と願わんばかりです。
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安くなった日本

少し前にも書きましたが、「日本」は世界的に安い国になっています。単純に言えば、円が弱いし、経済的に発展した国にしては物価が安い。

今まではとても高くて旅行に来られなかったという人たちが、最近ではたくさん来日しています。政府の観光キャンペーンや日本ブームの効果もあるのでしょうが、安くなって来やすくなったというのは大きいのではないか、と個人的には考えてます。

以前は、東ヨーロッパやアジアの国々から訪れる人たちは、どちらかというと裕福な人に限られているという印象でしたが、このごろは、学生とか普通のサラリーマンが休暇でなどといった感じに気軽に日本を訪れてます。

10年前にアジアの通貨危機が起こりましたが、その当時はタイの若者が自分のお小遣いで日本に遊びにきてディズニーランドに行くなんていうことは、ちょっと考えられないことだったんじゃないかなと思うのですが、たった10年で世界はあっという間に変わりました。

日本はデフレから抜け出せず経済は停滞したまま、一方、多くの国は経済的に成長。ようやく日本の景気がよくなってきたというものの、金余りと経済評論家が言っているわりには、個人個人のお財布はなんとなくさみしいまま。

東京では派遣などの自給はこのところあがっているみたいですが、オーストラリアやカナダの友達と話していると、その自給は彼らの国のマクドナルドのアルバイトの自給と結構近いのです。(ちなみに、私が10年前にオーストラリアで働いていた頃の4倍くらいの自給です)

たくさんの外国の人たちが日本を旅してくれるというのは大歓迎です。でも日本で働いている外国人たち、たとえば英語の先生だとかは、どうもこのところの円の安さにちょっとむなしさを感じているようでもあります。だって、自分の国でマクドナルドでバイトして暮らしても、同じような金額がもらえるし、生活環境は日本よりもいいという場合が多い。私の外国人の友人たちも、そういったことを口にするようになりました。

介護などの大変な仕事をしてもらうために、フィリピンなどの国から人を受け入れるということを政府などはいろいろ考えているようですが、このままだと、移民を以前からキチンと受け入れてきた国のほうが、よほどかお給料や待遇、生活環境がいいなどといった理由で、日本は魅力のない国だからとあまり来てくれなくなってしまうんじゃないかな、と思ったりもしないでもありません。言葉の壁も大きいですし。まあ、これは、ちょっと極端な考えですが。

バックパッカーなどの貧乏な旅人は、日本が駄目になったり、お金が大変になったら、タイにでも逃げて細々と暮らせばいいよね、なんてよく言い合ったりしています。けれど、今ではタイも物価がどんどんと上がり、旅人たちは周辺のラオスなどに逃げ込んだりしています。

私も時々、日本でちょっと無茶してすべてが駄目になったら、どこか物価の安い国にでも行ってユルユルと暮らせばいいや、なんて思ったりしていたのですが、いつの間にか日本の旅人が行ける場所がなくなっちゃったりするんじゃないかな、とこの頃思ったりもするのでした。
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アメリカ人に日本語の語源を教えられた

昨日、アメリカ人と日本語で話をしていて、松坂が登板するホワイトソックスの試合を見に行ったんだという話題になりました。

「よくチケットが取れたね」
と聞くと。
「スタジアムのチケット売り場に行くと当日券が売っているんだよ」
と教えてくれました。

「それはダフ屋じゃないの?」

「違う、ダフ屋じゃないよ。シーズンチケットを買ったけれど、予定があって来られなくなった人たちのチケットを、そうして当日スタジアムで売っているんだよ。」

「へえ」

「それにしても、日本語って面白いよね。ダフ屋とかさ」
と彼が突然そんなことを言い始めました。

「だってダフって、もともとは札だったんでしょ。それで、闇で取引するときに別の言い方にするためにダフって言い始めたんだよね。日本人ってそういうのが好きだよね」

「ええ、ダフって札だったの?知らなかった」

妙に関心した私は、早速ネットでダフ屋の語源を調べると、まさにその通りでした。これって、実は日本人の常識なのかしら?私が知らないだけ?と心配になりますが、アメリカ人にそういうことを教えてもらうなんて、私も知らないことがいっぱいあるんだな、とあらためて思ったのでした。
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日本の会社は忙しすぎて

日本の大学に留学に来ていたマレーシアの人が、無事に勉強を終えて帰国することになりました。

何気ない会話で、そのまま日本で就職しようと思わなかったの?と聞くと、彼は少し黙り込んでしまい、しばらくして、モジモジしながらこういいました。

日本の会社は忙しくて大変すぎて嫌なんです。マレーシアでは給料が日本より安くても、もっと楽しく生活ができます。

この春、私がお世話になっている職場では、長くそこで働いている数人が転職をします。理由は職場環境に不満があるわけではなくて、もっといい給料をもらうため。子供もできて、家も建てて、今の給料ではやっていけなくなって。

現代の日本のパパは大変です。

昔のことは実感としてはよく分からないけれど、もう少し、それぞれが、それぞれの身の丈にあった生活をしていたのではないかなと思うのですが、現在の身の丈って言うのは、無理して働いていかないとかなわないものになっているのかなあ。家庭をもっていない私にはまだよく分かりません。

「今晩、飲むための酒代がないから飲みに行こう!払いはお願いね」と誘いに来る人が私の身近におりますが、こういう人がもっともっといっぱい世の中にいても悪くないんじゃないかなと思ったりします。いっぱいすぎると大変ですが。。
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日本人は礼儀正しいと言われるけれど

外国から来た人に、日本人はどうだ?と聞いてみると、とても丁寧で礼儀正しいですね、とよく言われます。

彼らは別にお世辞でそんなことを言っているわけではなく、結構本気で言っています。日本人はすばらしい!って。

さて、ここで問題。日本人は丁寧で礼儀正しくてすばらしいのか?

私がヨーロッパを旅していたときに、重いバックパックを背負って電車であちこち回っていたんですが、電車に乗るたびにうれしいのが、大体どこに国でも近くにいる男性が、「お嬢さん、お手伝いしますよ」とやさしく、しかもごく当たり前のことをするように、荷物を持ち上げるのを手伝ってくれたことです。

なので、私もいい気になって、「ウイ、メルシー」なんて、当然のごとく手伝ってもらったものでした。

でも、日本の人が外国の人に親切である、というのはこれとは何かが違うような気がして。

私はよく大きくて重い荷物を電車に持ち込むけれど、邪魔だなあ、と迷惑な顔をされるばかりで、「お嬢さん」なんていわれることのないこの東京に、時々疲れちゃう。って、どこがお嬢さんなんだよぉ、と言われたら、隅のほうで小さくなってるしかないんだけど。
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