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旅ってなんだ? 旅人ってどんな人?
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わたくし、バックパッカー女子だった 10年前の記事をひっぱりだし03 シドニーに到着

高校をかろうじて卒業して、それからバイトでお金を貯めて、ワーホリビザを申請。でもその年に限って、オーストラリア政府はビザをストップしちゃった。信じられないよ。しかも再開するのはいつか分からないっていいだして。それでしばらくビザを待つ羽目になったんだ。後で思えば、このときの待った時間は個人的に良かったということになったけど。

 

 

はい、前置きが長くなりましたが、それから無事にビザがとれて、1996年9月、シドニーに旅立ったのでありました。

 

初めての飛行機、初めての外国。

ソウル経由の大韓航空はガラガラで、飛行機ってあんまり人が乗ってなくて足伸ばして寝れるんだな、という認識が間違っていたということは後で気がつくのだけど。

 

当時ほとんどのワーホリの人が、ひとまず英語学校とホームステイを決めてから来ていたんだけど、私はそういう基本的なこともすべてすっ飛ばして、とにかく行けばなんとかなるでしょ、ガイドブックだってあるし、と宿さえ決めずに旅立ち。

 

さてガイドブックによると、シドニーについたら南半球一の繁華街である「キングスクロス」に行けば安い宿がいっぱいあるとのこと。繁華街はなんたるかも当時の純粋無垢な私は全く知らず、まず宿を求めてそのキングスクロス目指してバスに乗り込む。

 

そして今でも忘れないあの屈辱の出来事が。

 

空港からキングスクロスに行くバスを見つけて乗り込んだんだけど、どこで降りるか分かんない。外国のバスって、日本みたいに、「次はどこどこです〜」なんて親切に教えてくれない。景色をじっと眺めて、降りたい手前あたりでブザーを押すのが普通。

 

これは事前に情報として知っていたので、バスに乗り込むとまず運転手に、あらかじめ頭の中に準備していた英語のフレーズで意気揚々と、

I would like to get off at Kings Cross. Please tell me!」と伝えたんだけど、返してくれる英語がぜーんぜん分からない。何言ってるんだ、このおやじ?

とにかく仕方ないから、運転手のそばにぴったりくっついて、まだまだ?って聞き続ける。もうこの時は心臓バクバクだよ。バスに乗るだけであんなに緊張するなんて、本当にどうかしてるって思うけど、仕方ない。

 

それにしても、それなりに簡単な英語はがんばって勉強したつもりでいたのに、なんで全く分からないんだろう。ガイドブックがあればなんとかなるなんて思って来ちゃったけど、ちょっとまずい雰囲気。

 

そういうこうしてるうちキングスクロス近くに来て、運転手が話しかけて来たんだけどまた分からない。私が顔中をハテナマークでいっぱいにしていると、運転手はあきれ顔で、他の乗客に「She doesn’t understand English」って言ってるじゃありませんか。なんでそれだけ分かるのさ、私!悔しい〜。

 

あとで分かったことは、オーストラリア人の英語は訛ってて、特にあのオヤジの英語は相当に訛ってたってこと。でも、そんなのは何のいいわけにもならない。だって世界を旅するっていうことは、そういう全部もひっくるめて対応しなくちゃなんないだから。

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わたくし、バックパッカー女子だった 10年前の記事をひっぱりだし02 どうして海外へ?

まずはさかのぼること、30年弱前。

早起きして観ていたテレビ番組は、「早見優のアメリカンキッズ」と「ズームイン朝」。アメリカンキッズでは、プーピーちゃんとガリソン君が早見優と英語で話すんですよ。ちなみにガリソン君はかなりイタイキャラで、納豆をトーストにのせたのなんかが好物で、子供ながらに変な奴っ!でも憎めないって心の中で悪態ついたりしてね。

 

ズームイン朝は、もちろん、「ウィッキーさん」! まちの人をところ構わずつかまえて、英語で話しかけるあれ。あれ、知らない人がいる? ま、今の時代、どこにでも外国人はいるし珍しくないから、今更どうでもいいんだけど、地方都市に住む幼き私にとっては、英語で話しをするウィッキーさんはすごく憧れだったんだ。

 

私はこの二つの番組が大好きで毎朝熱心に観ていた。それでいつしか、海外に行くということが人生の目的の一つに組み込まれていくである。ガリソン君、ウィッキーさん、恐るべし。

 

ここでまっとうな人生を歩むんならば、英語に憧れを持った若者は、勉学に励み、通訳になりたいとか、CAになりたいとか、そういう道もあったんだろう。でも残念ながらそういう人生は私には訪れなかったし考えもしなかった。私が学生時代に英語を活かした記憶があるのは、バンドで洋楽を歌っていたことくらい。そういう音楽の英語ならば、ノートにびっちり歌詞を書いて、発音なんかをまねたりするのは熱心だったんだけど、学校の英語の勉強となるとダメだったねぇ。

 

そんなわけで(ってどんな訳だよ!って感じだけど)、16歳の夏、ある出来事をきっかけに、進学校にいながら大学進学をやめると高校の担任に宣言して、海外に行く準備を始めたのでありました。え、親? あのときは私が何を考えてるのか何にも知らなかったんじゃないかな。ま、義務教育終わってるし、いいでしょ、くらいの感覚。今思えばただのロクデナシで、そんでもって今でもロクデナシは続いてるんだけど、完全放任主義の親が育てたんだからこんなものだよね。

 

本当はね、はじめはアメリカに行きたかったんだぁ。田舎者だから、外国っていえばアメリカじゃん。

それでグレイハウンドの時刻表とか買ってきたりして、横断計画を夜な夜な練ってみたり、比較的授業料の安いコミュニティカレッジに入れる方法とか調べたりしたんだけど、ずいぶんたくさんのお金かかるんだよね。

 

そんな時、本屋で目にとまったのがワーキングホリデーのガイドブック。これは衝撃でしたよ。だって、働けるんだよ、外国で。当時はカナダ、ニュージーランド、オーストラリアしかなくて、寒いのは嫌で、大きい方がいい、っていう理由でオーストラリアにしたんだよね。その頃、カンガルーとコアラくらいしか、オーストラリアの知識無かったんじゃないかな、私。

 

ま、ガイコクに行けさえすれば、結局どこでも良かったんだ。

 

>>続く

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わたくし、バックパッカー女子だった 10年前の記事をひっぱりだし

私、山本真梨子、愛知県豊橋市出身、2011年11月現在34歳、「女子」なんてもうとても恥ずかしくて言えないお年頃、東京・中野、ねことぐらし。

 

10代でいわゆるワーホリメーカーとして日本を飛び出し、その流れでなんとなくバックパッカーとして旅した国々はだいたい40カ国くらい。あ、でもね、ヨーロッパとかアジアとかの国境を越えるのなんて、東京から田舎に帰省するみたいなもんで、それこそあっという間だから、そんなにたいしたことじゃあないんですが、でもでも、世界のあちこちに友達いるんだぜ。いいでしょ〜!

 

と自慢してみたものの、この頃はちょっと、働き盛りでお仕事も忙しいし、やっぱり日本経済支える歯車の目に見えないくらいのネジくらいにはなんなくちゃいけないし、なんて言いながらなんだかんだの東京人生に埋もれてしまい、旅にでるのは2年に1度くらい。もう「女子」とも「現役バックパッカー」とも呼べないし、でもこの社会において中年女性として立派なオトナであるかと言えば、ま、これが困ったものでして、元ハードバックパッカーとしての宿命、自分の人生は自分で開拓しなくちゃいけないのが、この愛すべき我が国における、ザ・ニッポン社会の現状。

 

そんな訳で、最近流行つつあるらしいカワイイバックパッカーになりたいわ、っていう本当に可愛い女子たちに、参考になるノウハウってのは、まったくございません。あらかじめご了承くださいね。

 

でも懐かしい青春のバックパッカー時代のことなら、語れますぜ。

 

青春っていうのは素晴らしく良いもので、やっぱり10代には10代の青春、20代には20代の青春っていうのがいつのどんな時代にもあるんだな、というのが、バックパッカーやりつつこの人生で学んだことのひとつでして。

 

だからこんな私でも、例えばインドで宿のオヤジが鍵を開けて夜這いをかけてきたらどうしたらいいのか?とか、そういうことなら経験談から伝授できるし、女ひとりで旅に出ようっていうんなら役に立つと思うんだよね。

 

 

でもそもそも、私って、どうしてバックパッカーになったんだろう?

 

純粋で、気が弱くて、人見知りな私。バックパッカーなんて全然違う人種のすることじゃん。

 

実をいうと、なりたくてなったわけでもなく、なんとなくなっちゃった、っていうのが本当のところで、バックパッカーになるにはどうしたらいいか!なんていう話、正直、私、ドヤ顔して語れません〜。

 

でもでも、きっかけみたいなのはあるんですよ。

 

続く>>

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日本のバックパッカーはどこへ?

今日は、ヨーロッパの旅行記はお休みして、今回の3週間のヨーロッパの旅で感じたことをちょっと書きます。

今回は北欧を中心に3週間旅をし、ほとんどは友人宅に泊めてもらっていたのですが、3箇所ほどホステルに泊まりました。多分、その町ではほぼ最安値のホステルです。

以前、そのようにヨーロッパのホステルに泊まっていたのは1999年から2000年にかけてなので、もう10年ほど前です。あのときには数年後にはまた旅をしに戻ってくると思っていたのですが、なんともあっという間に10年が過ぎてしまいました。

さて、あの頃のヨーロッパは冬で、どちらかというと旅行者の全体数が少ない季節だったのですが、それでもホステルや安宿に行くと、ほとんどの場所で日本人に出会ったものでした。もちろん場所によっては、日本人どころか全くお客がいないという場所もありましたが。。でも、少なくとも、私が今回訪れたのは、それぞれの首都や観光地なので、大学生のバックパッカーなどがいるんじゃないかと想像してました。

それが、今回出会ったのはたった一人。途中すれ違った人もいましたが、その数の少なさにちょっと驚きました。一方、増えていたのは韓国の人たち。10年前には、韓国の人のバックパッカーはまだまだ少なくて、時々出会うと珍しいですねと話しをしていたものですが、今では女の子の一人旅もかなりいます。

この頃では、みんなお家が好きで、半径2キロから遠くへはあまり行かないとか、日々の生活、身近なものを大事にする心を大切にしようとか、そういうことが言われていたりしますが、もしかしたら、このバックパッカーが減少している感覚(実際にそうだと思うのですが、何しろ北ヨーロッパのみ3週間のみだったので。。)は、そういうところからも来ているのでしょうか。

私が子供の時には、外国に対して憧れがあって、いつか自分は外国に行くんだ!と完全に思い込んでいました。そして10代も終わりの頃に実際に飛び立ち、そこから世界がどんどんと広がっていくことが楽しくて仕方なかったです。

こういう感覚は、私だけでなくて、多くの人たちが持っていたと思います。旅をしている間には、本当にたくさんの同じ気持ちの人たちに出会って、そこでの出会いは今でも続いていて、かけがえのない友人として繋がっています。

でも、確かに、旅と言うのは恐ろしい面も持っていて、一度旅に出ると、本当に意味で帰ってくることが出来なくなる可能性があります。気持ちが、どこか遠くに置かれてしまうというか、簡単に言えば癖になる。世界を見れば見るほどに、もっと見たくなってしまう。日常とかを大切にする、という視点が欠けてきたりする。あるいは旅そのものが日常になってしまうとか、そうであって欲しいと願ってしまう。

それでも、やっぱり、旅はいい。
ただのごく潰しなんだけど。そして、特に日本の社会では、一度旅に出ると、社会に復帰するのは難しい。でも、大学生は休学して旅に出れば、全くハンデにならないから、それも旅に出ない理由にはならない。

だんだん文章がまとまらなくなってきましたが、
日本人バックパッカーが少なくなっている感覚について、
仲間が減っているからなのか、とても寂しい気持ちです。


そうだ、旅に出よう!

旅人文化の合言葉。
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今更なのだと思いますが、新聞について。

大人と呼ばれるようになってもうかれこれ10年以上は経ちますが、未だに分からないことや知らないことがたくさんあるなあと、日々、誰かと話をするたびに思うこのごろです。

少し前ですが、地下にもぐったところにある飲み屋で飲んでいた時に、地方紙についての話が出ました。

私は愛知県の三河の出身で、幼少時代は中日新聞を読んで(子供なのでテレビ欄を読むわけですが)いて、それが当然に思っていて、少し大きくなって新聞配達のアルバイトをしたときに、読売や朝日を取っている人もいるんだということを知って、なんとなく、ふふーんと思っていました。

でも、そのことについて深く考えることもせず、大人になって、東京に来て、東京の人たちが朝日や読売を読んでいる横で、東京新聞を取ってみたりしていて、そのときも深く考えもしなかったのですが、その飲み会の時に重大なことを知ったのでした。

私は、今までの人生の経験で、日本全国にはそれぞれに中日新聞のような地方紙があって、みんな地元の新聞を読んでいるのだとばかり考えていたのですが、どうもそういうわけではないということ。

逆に言うと、いくつかの大きな地方紙が全国にはあるけれど、そうでない場所のほうが多くて、みんな朝日や読売なんかを読んでいるんだそうです。

なんかこんなことをあらためて書いているのは、ちょっと恥ずかしいのですが、私にとっては何かものすごい驚きで、そうだったのか!と感激すらしたのでした。

地元でずっと生活をしていたらば、もしかしたら一生そういうことも知らずにいたのかと思うと、とても不思議な気持ちになります。あるいは、地元を離れてすでに10年以上過ぎているので、そういう状況というのは何かしら変化しているのかもしれないですが。

どっちにしても、そういうことは知っていても知らなくても、大して生活に影響があるとは思えないですが、なんかこういう一つ一つのことを驚きながら知っていくことについては、大げさですがどこか人生に影響を与えているような、そんな気がしないでもありません。

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旅の準備を任せきりで。。

来週、梅雨の真っ只中に屋久島に行く予定でいるのですが、大体、こういう予定を入れると仕事もなぜかすごく忙しくなってくるもので、飛行機のチケットを取っておいただけで、あとはほとんど何も出来ずにいます。

それで一緒に行く友人に、宿の予約など一切を任せきりにしてしまっています。ああ、すみませんです。

私のほうがはるかに旅慣れているし、そもそも私が鹿児島に行く用事があるんならついでに屋久島に行った方がいいよ、そうそう、そうだ、私も一緒に行く!とか言って決まったことなのに、飛行機だけ取って任せちゃって本当に申し訳ないです。

でも、よく考えてみると、私も旅慣れているとはいえ、なんというか、準備をそれほどしないという旅がほとんど。とにかくそこに行ってから宿でも何でも探して決めるっていうスタンスばかりだったから、実のところ準備は不慣れなのかもしれないです。。

飛行機のチケットを取るとか、現地で宿を探すとか、そういうことは得意なんだけど。

でも旅の勘みたいなのは身についていて、友達が見つけてきた宿の情報を見てどこがよさそうか検討をつけたり、ガイドを探すにあたって、ネットで何とか協会とかに所属している人を探すよりも、地元の宿の人に紹介してもらったほうが面白い人が見つかるだろうとか、そういうことって旅人としては普通の感覚ですが、文字などの情報を頼りに旅行をすることが当たり前のようになっている雰囲気の現代では、実は少しだけ違う部分なのかなとちょっと思いました。

でもそうは言っても、失敗する可能性だっていくらでもあるから、友人と一緒という場合にはちょっとだけ緊張しますね。本当なら失敗って言っても旅なんだから失敗も何もないんだと思うのですが。。

ということで、そろそろ少しは自分の準備のことも考えないといけないなあとあせりつつ、毎日の仕事が終わらないでいます。はい。

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英語がうまくならない、旅行英語からの壁

義務教育でひとまず英語をボチボチ勉強していた人ならは、旅に出ると必要にかられて英語を話せるようになります。道を聞いたりとか、お店で値段を聞いたりとか、そういったことについては大体大丈夫。ジェスチャーなんかを交えれば、結構いけます。

ただ、期間が短すぎたりとか、とくに誰かと会話をする必要のない旅であったりする場合では話せるようにはなりません。

とにかく放り出された感じで、必要にかられるというのがポイントです。これは自分の経験や周囲の人たちを見ていても間違いないです。

でも、ここでペラペラと英語を喋っているように見えて、実は心の中では冷や汗をかいているというのが、多くの旅人の現実なんじゃないかと思います。(もちろん東大生や外語大とかで本当にペラペラの人もいますが)旅をしているだけならそれほど問題ではないけれど、じゃあ、日本に帰ってきて、知り合いなんかに、あんた英語がペラペラだから今度ちょっと通訳をお願いするよ、なんて言われたら笑いながら後ずさりしてしまう。

これって結構コンプレックスです。

そういっても、ある人たちからは、それだけ話せればいいじゃん!って言われるのですが、そう言われれば言われるほど、心の中でそんなことないんですぅ、と小さくしぼんでいく。

でも、厭味なやつだと思われたくないから、顔は妙な形で笑って、へへへ、はは、まあねえ、なんて答えにならない言葉を口にしている。

そんなたびに、ああ、ちゃんと勉強をしよう、もっと単語を覚えよう、ちゃんと英語で本を読もう、と思うのですが。はい。

そんな風に悩んでいると言うと、日常的に周囲に外国人がいるんだから、うまくなるでしょ?ともよく言われます。

でも周囲の外国人たちと英語で話していて、これを続けていれば英語がうまくなる、と思っている人は実はある部分では間違えです。日本人でも日本語がちゃんと話せない人がいるように、英語圏の人であっても、相当な教育を受けている人でないと、でたらめな英語を話したりしています。文法、それ、間違ってるよ、と指摘したくなるくらいに。

そして英語圏でない人たちと話していると、正しいと言われる英語で話をすると、逆に混乱をすることがあるので、たとえば、"5th(フィフス)"というべきところも、"5(ファイブ)"と言わないと通じないとか。

そんななので、現状の英語力を維持することができたとしても、上達するということにはなかなかならない。

ということで、結局は自分で勉強とかするしかないんですね。

というようなことを、何年も何年も考えているわけです。はい。
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冒険心、旅心。

「まりりんはよく失敗するよね」
とちょくちょく言われます。

とくに言われるのが、食堂とかレストランとかを選ぶような日常の出来事。それ以外にも結構大きな何かの決断に対しても、自分でもよくそう思います。かなり失敗が多いんです。お店に入ってから、ああしまった!と思うことなんてしょっちゅうです。

でも、失敗しないようにするとなると、じゃあ、いつも行っているあの店にしようという風になったりして、それはそれで真っ当なことなんだと思うのですが、どうしても冒険心が働いてしまうのが旅人の性でして、そうこうしているうちに失敗をうんと重ねてしまうんですね。

だからと言って、全て失敗しているわけじゃなくて10のうちの1,2は結構当たったりもするので、当たったときには大喜びして、失敗したときには勉強させてもらったなあと思っていると、どちらにしても笑っていられます。

ということで、今日も多分、ああ、しまった!って思うこともあるけれど、まあ旅人の精神を引きずって生活をするということは、結局そういうことなんだと思って、周囲になんと言われようと失敗をちゃくちゃくと重ねて行こうと思っています。(って、巻き込まれる人には、本当に申し訳ないんだけど。。許して!)
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ルー語が笑えない理由

昨夜、たまたまテレビをつけたらルー大柴がでていて、例のルー語(というのでしょうか?)で話をしていました。

でも、あの言葉を聞いていても、実のところおかしくもなんともなくて、面白さがほとんど感じられないのはどうしてだろう?と思って、ちょっと考えたのですが、理由は簡単でした。

自分も普段、外国の人と話すときに、ああいう風な妙な日本語というか英語を話しているのです。特にこのごろは、日本語が分かる外国人とも多く接する機会もあり、そういう場合には特に日本語と英語が混ざるというか、一体何語で話しているのかが分からないくらいに、妙な言葉で話しています。

たとえば、時間を言うときに、イレブンオクロックでしょ?、となぜか「でしょ」がついたり、「ザッツ、本当に、ビューティフルね」なんて真面目に普通に言っています。もちろん、この場合は相手が「本当に」という日本語を知っているということを、自分も分かっていて話をしているのですが、とくに考えるでもなく、すらすらとこんな言葉ばかり使っています。

ということで、ルー語が面白くないというよりも、あまりに身近すぎて、普通の人に見えてしまうということでした。そう思うと、なんか普段から日常がコメディになっちゃってるという感じなのかもしれません。
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チベットの暴動のニュースを受けて

私がチベットの問題について、いくらか考えるようになったのは、7年ほど前にインドを旅行中に二人のチベット人に出会ってからでした。

一人はアメリカに亡命したチベット人で、save tibetのTシャツを着ていました。同じ宿に泊まっていて、お茶か何かをしているときにいろいろ話をしました。

彼はチベット独立運動に関わる活動をしているそうで、それまでチベットの問題についてほとんど知らなかった私は、あれこれ彼に質問をした記憶があります。その質問に答えるように、チベットと中国の関係の概要を教えてもらいました。

私がそうした独立に関して身近な問題として興味を持ったのは、それより少し前に旧ユーゴスラビアの地域を旅していたときで、そのあたりでは内戦のあとが深く残っていて衝撃を受けたものでした。
たまたま、やはり同じ宿に、日本から来た大学院生がいて、彼はその地域の問題を研究しているということで、何が起こっているのかということをいろいろと教えてもらいました。

それまでにも内戦直後のカンボジアなども訪れてはいましたが、民族の紛争とか、国という大きなものが行使する力などについて、もっと深く考えるきっかけになったのは、多分あの旧ユーゴの旅あたりだったのかなと思っています。

チベットの話に戻りますが、あれから7年の間に中国国内ではチベットへ続く鉄道も開通され、私はラサに行った事もありませんが、一体これからどうなっていくのだろ?と心に引っかかりを持っていました。

今回の暴動に関しては、ロシアがこういう問題が起きる時のいつものように中国支持を表明した以外は、どちらかというと世界の多くの人たちがチベットを援護する立場にいるような雰囲気ですが、やはり内政ということになるので干渉はできないと言うことになるのですね。

私は中国も旅をして、たくさんの中国の人たちに助けられた思い出があるので中国に関しても悪い印象はあまりないのですが、政治に関していうとやっぱり強烈なのかなあと思ったりします。

この問題はこれからどうなっていくのでしょうか。

もう一人のチベット人との出会いのことは次回のブログに書きます。
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