旅人文化ブログなんでも版

旅ってなんだ? 旅人ってどんな人?
よく分からないけど、旅って面白い!
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Tシャツの季節

春になって、周りの外国人たちはTシャツになり始めました。東京の気温はこの頃20度前後ですが、今日の私は長袖のコットンのシャツに襟付きのシャツを重ね着をしてしてて、多分、これくらいが日本人の標準くらいかなあと思いますが、外国人たちはほとんどTシャツです。

寒くないのー?
と、いつもついつい聞いてしまうのですが、みんな暑いよーと言います。

寒くないかも知れないけど、そんなに暑いのかなあ、といつものことですが、ついつい思ってしまいます。

彼らの体温調節機能は、多分私たちとはちょっと違うんだろうな、と思いながら、でも、そうういえば、しばらく前にカナダの父親が子供が熱を出したときにあわてて冷蔵庫に入れて死なせてしまった事故を思い出して、さすがにこれは極端だけれど、機能だけじゃなくて物事の捉え方もどこかしら違うのかもしれないなあ、とも考えたりもします。

冬でも、短パン、Tシャツでいることのある彼ら、なおかつ風邪をひいててももっと服を着ない、っていうのって、やっぱり私にはどうも分からない。ずっと謎です。
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さくら SAKURA 桜

今年の桜は気候も良いおかげか、とてもきれいに見えます。

国立劇場 桜
これは国立劇場の桜。

四谷 桜
四谷の土手の桜。

東中野 桜
東中野の線路沿いの桜。
早咲きの桜はすでに葉桜になっていて、その緑と桜の薄ピンクのグラデーションです。

恒例の外国人とのお花見ですが、今年も中野の新井薬師公園でやりました。満開になる前の週の週末だったので、少し寒かったのと、まだつぼみが多かったのですが、人ではまあまあで昼から夜まで楽しみました。

ただ、主催者の私は前日に体調を崩して、お酒も飲めずにスポーツドリンクを飲んでブルーシートの上でボーっとしていたので、実のところちょっと大変なのでした。。

でも、地元の人とも交流しながら、みんな楽しんだみたいでホッと一安心です。毎年書いていますが、花見は外国人に喜ばれるイベントではダントツですね。

今年はオランダ人の兄弟が参加して、花見について話しをしたのですが、彼らの話ではヨーロッパではこういう文化がもうすっかりなくなってしまったので、うらやましいとのことでした。

私の印象では、ヨーロッパのほうがなんとなく、家族でピクニックに出かけたりとか、そういうイメージがあるのでその話をすると、

「それはもう昔の話で、今ではみんな忙しいし、あとはみんな以前よりも他人を信用しなくなって、妙な不信感をもちながら外に出かけたりしている感じがあるんだよ」

とのことでした。
これはなんとなく日本でも、みんなどこか不信感というか閉塞感を感じているというのと同じ感覚なのかな、それとも何か別の違うものなのか、ちょっと分からないのですが。。

彼らはその日のあとも、自分たちで何度も花見に出かけて、日本の花見を楽しんでいました。

お花見の文化って、かなり貴重なのかなあ、と感じてます。
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あらためて、文化の違い

昨日、たまたまアフリカから来た人たちとやり取りをすることになって、それがはじめの電話からあわせると、4時間近く、延々と話しをすることになりました。

たった、ひとつのサブジェクトで、どうしてここまで長く話しをしなくちゃいけないのか、というと、もう文化の違いというほかありません。とにかく、私たちの常識でもって、しかもそれなりに海外の文化を受け入れる体制で話しをしても、彼らの常識があまりにかけ離れているので、お互いに、自分たちの話をちゃんと聞いてよ!ということでどこにも行き着けない。

夜の11時も過ぎ、正直、私も別に彼らに何の気持ちもないので、とにかく、もうこれ以上、今ここで話をしても埒があかないし、第一夕飯も食べずにこんなことを延々としているのは馬鹿らしい!と言って、ようやくその30分後くらいに会話はいったん終了しました。

具体的には書けないのですが、日本人の感覚でおかしいなあ、と思うのは、彼らは私に、じゃあ、君はこのオプションを取らないのか? こっちのほうが得だろう! と言ってくるのですが、私からみると、損とか得とか考えると、もうこうしている時間が損なので、とにかくこれ以上の関わりを絶ちたい。でも、さすがにそこまでは言えないので、損得じゃなくて、しかもオプションはこちらが提示するものであって、あなたが提示するものではないでしょ!と言うんだけど、そんなのおかしい!と言い張る。

とりあえずその場をしのいだ後に、一緒に話しをしていたオージーのAくんと、そのクレイジーな疲れと空腹を癒すためにモツ鍋やでビールを飲んで一息。モツ鍋を食べながらそのことについてあれこれ話しをしていたのですが、やっぱり、これは文化の違い以外のなにものでもないよねえ、という結論でした。

結局、人をまず疑ってかからなければならない国というのは、結構存在するわけで、そういう国で自分を守るためには、やっぱりそれなりのやり取りの仕方が必要です。もうひとつは、お金でいろいろな日常のことがとても簡単に解決できてしまうような地域。そうして、自国にいる分には、そういうことは問題にはならないですが、外国に行ったとたんに、急に何もかもがうまくいかなくなって、強いフラストレーションを感じる。そしてさらに、ひどい場合には、そのフラストレーションを相手が何かの悪意を持っているからではないか、ともっと疑う方向に持っていってしまうと、もうこれは悲劇です。

そのあたりは、頭では理解しているつもりなので、途中で冗談を交えながらなどして、とにかく私は敵ではありません、と会話を進めたりするのですが、相手からすると、私たちの文化の方が妙であるので、分かりあうのにはなかなか時間がかかりますね。

でも、時間がかかるからといって、そこで放り出してしまったらどうしようもないので、これからも、こういうことにはぶつかり続けていくしかないのかなあと思っています。

とはいえ、ちょっときつかったなあ。。空腹の4時間の格闘。
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結婚式の写真における著作権の解釈の違い

来月の中旬にオーストラリア人カップル同士の結婚式の撮影のお仕事を頼まれていて、その打ち合わせをかねて一緒にランチをしました。

今までも外国人の友人の写真は何度か撮影してきましたが、今回は、二人ともにオーストラリア人で、その二人が家族30人以上を日本に呼び寄せて日本庭園のある場所で結婚式をするという、少し風変わりなもので、何かと情報交換や下調べが必要で、いろいろな新しいことことを学びました。

そういう中で、結婚式の写真については、日本とオーストラリアではかなりの違いがあることを発見。(というほど大げさではないけれど)

まず、著作権の問題。
日本では、スナップ写真においては、この頃ではアナログならネガ渡し、デジタルでは全てをデータ渡しというのが普通となっています。つまり、撮影したものは全てお客様のものということですね。
オーストラリアでは、あくまでもフォトグラファーに著作権があり、後々に欲しい写真がある場合には、有料で買わなければならないというのがスタンダード。

この違い、相当に大きなものがあります。

プロフェッショナルというのがどういう基準なのかはあいまいなところですが、この頃は、プロとアマの境界線はかなりなくなってきていて、プロでなくてもプロ並みの作品が作れたりします。

でも、そういうハイアマチュア以外に、単純に、プロを馬鹿にすると言うか、私でもそれくらいのことは出来るわ、のような感じでという場合がかなり難しい。そしてそういう風潮がこの頃では結構普通になってきてます。

私は基本的には、とくに結婚式のような記念写真はあくまでもその人たちや家族の記念なので、目的を考えれば、著作権は放棄してしまう、ということでかまわないと思っているのですが、メンタルな意味でいうと、オーストラリアの文化のように、もう少しプロの撮影する写真の価値を認めてもらい、そのことにより、写真屋も自分の腕を磨く、あるいは差別化をしていく努力をする、そういうことがあっても良いのかなとも感じたりもします。

さて、こういう個人的なイレギュラーな仕事があると、実は結構緊張します。普段の仕事だけでも、月1日くらい休みがあればいいところに、そういう仕事を突っ込むので、必然的に合間に準備をするということになってしまいます。ロケハンやプレシューティングなど、事前にやることが結構あります。本当はそういう意味では断ったほうがいいのかなと思うのですが、あなたにどうしてもお願いしたい!といわれると、誰でもやらなくちゃな、という気になりますよね。

ということで、しばらくは、何かと緊張した日々になりそうです。
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宗教の違いでの喧嘩

旅に出るようになると、どうしても勉強をしなくてはいけないな、と思うことのひとつに宗教があります。

学校で習ったようなどの宗教はどの肉を食べられないとか、テレビで見るような、各地の紛争についてといった知識も確かに役に立つのですが、人と宗教との関わりをもっと個人単位の意味で考えてみる機会を持たないと、旅先で出会うさまざまな国の人たちときちんと会話が出来ないなと、とくに初めての旅の時につくづく感じました。

私自身は祖父が熱心な仏教徒であったので、幼い頃に、大きな仏壇の前で長時間手を合わせたり、祖父と一緒に乳母車を引いて歩いて、地域の清掃活動をしたりといった経験を通じて、体の中に仏教徒としての何かを染み込ませているのかな、と思います。

ただ正直なところ、よく外国の人との会話で宗教の話になって、私自身のことについて聞かれたときに、自分はブディストですということも全くしっくり来ないので、特に何も信じていないけれど、仏教の影響は受けていると思います、と答えるくらいです。


先日、ある会社の人が営業に来て、仕事の話も一段落ついたところで、思いついたように質問をされました。

「いろいろな国の人たちと接する機会があるようですが、彼らが集まった時に宗教の話で大喧嘩をすることはないのですか?」

質問がちょっと唐突だったので少し戸惑ったのですがこう答えました。

「いろいろな国に行っていますが、宗教のことで喧嘩を始めるのは政治家とかある特定の人たちで、個人個人がそれで喧嘩を始めるっていうのはあんまりないと思います」

旅をして、いろいろな人たちに出会って話を聞いて、そういうことについても自分なりに考えてきたので、今ではそういった意見を持つようになりましたが、もし、旅に出る前の自分なら、ずいぶん違ったんだろうな、とこの会話を通じてあらためて思いました。

扇動された結果として宗教という名の下に個人が喧嘩をしてしまうということはあるかもしれないと考えると、それは少し怖いことだなとは感じますが、普通はただただ日々平穏に生きている人たちは、どちらかと言うと、俺の女をよくも取ったな!とかそういうことでの喧嘩のほうが多いんじゃないかなと思ったりします。
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サラリーマンNEOとイタリア人

おととい、何気なくテレビを見ていたら、サラリーマンNEOがやっていました。その中で、各国の代表がいろいろな障害物(事?)をこなしてゴールを目指すのがあって、その障害のひとつに満員電車の中を通るというのがありました。

日本人は回りに気を使いながら隙間をすり抜けていって、中国人は太極拳の動きでスムーズにすり抜けていき、その後、イタリア人。。そのイタリア人は電車の中できれいな女性を見つけて恋に落ちてしまい、もう競争も忘れて女性に夢中。

それを見ていて、もう、おかしくって、ずっと笑っていました。

テレビで見ていると、なんか大げさに見えるけれど、実際に現実の世界でもイタリア人はあのまんまだなあとつくづく思います。

友人のイタリア人は、女性と話すとなると急にテンションが上がって、その女性がきれいだったりすると、歌を歌い始めたり踊ったりします。道を通り過ぎる女性を目で追ったりするのは、もう反射神経の動きのひとつで、この間もばっちり目で追っていたので、今見てたでしょ?と聞くと、えっ?僕見てた?ああ、自分で気が付かなかった、っと笑っていました。

それにしても、あの、サラリーマンNEOって、なかなか面白いですね。
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フィンランドにとって日本はイタリアよりも近い国

久々の更新となります。

今日はフィンランドの話。

最近フィンランドの10代の女の子たちとお話をする機会があって、このところ、どうもフィンランドの若い子たちが日本にたくさん来ているんだけど、どうしてだろう?と聞いてみました。

彼女たちの説では、フィンランド人と日本人のメンタリティが似ているからじゃないかな、ということでした。

例えば、私たちヨーロッパ人などは日本の人も韓国の人も中国の人も人括りで考えがちで、ほぼ同じような価値観や習慣を持っていると思っている人が多いけど、でもそれは私たちとイタリア人が同じって言っているようなことと同じなのだと思う。

私たちフィンランド人はイタリア人のようにベチャベチャしゃべらないし、まったく違う。

それで考えてみると、日本人は静かだし、自己主張をしないし、誰かが何かを間違っていても露骨に指摘したりしない、など、そういうところは私たちの価値観と同じなんだよね。そう思うと、ヨーロッパの特に南の方の国の人たちよりも、はるかに近い感覚を持っていると思うの。

世界の中でも教育水準が最も高いと言われるフィンランドの女の子たちの意見はこうでした。こういう話題のとき以外は10代の女の子らしく、男の子の話で盛り上がっているみたいですが(ちなみに彼女たちは日本に遊びに来ているだけあって、日本人の男の子が好きみたいです)、文化などの話でもきちんと自分の意見をまとめて伝えられるっていうのは、すばらしいなと思いながら、面白く話しを聞いていました。

私がヨーロッパを旅していて、フィンランドなど北欧を廻って気がついたことは、スカンジナビア半島はとにかく静かな場所だな、ということでした。本当に静かです。

初めはドイツを旅して、その後北上してデンマーク、ノルウェイ、スウェーデン、フィンランドとまわった後にオランダの友人のところに行ったのですが、なんとも驚いたのは、北欧を出たとたんに音のボリュームが一気に上がったということです。

人の声、町のさまざまな音、それらがものすごい音量で耳の奥に鳴り響いて、そして人の多さに圧倒されながら、ああ、なんか疲れるなあというのが北欧を出てすぐの印象でした。

それでも今の生活を思えば、そこで感じた大きな音はほんの些細なものなんですね。慣れてしまっているということなのか、結構無理をして毎日生活をしているのか、どちらとも分かりませんが、今でもあのときに感じた耳や肌の感覚ははっきり覚えていて、こうしてフィンランドの子たちと話たりすると、ふっとよみがえってきます。

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国際結婚だから、とは言いたくないけれど。

ここ数年、身近なオーストラリア人もスキーやスノーボードに出かけていく倶知安で起こった殺人事件について、みんながよく出かける倶知安であるということもあって遠い話ではないような気がしています。国際結婚のカップルも身近にたくさんいますし。

以前もここで国際結婚について書いたと思いますが、日本人女性と外国人男性が結婚して、日本で暮らすというパターンというのは、なかなか難しいことが多いなというのが私の印象です。特に外国人男性が日本語もあまり上手でなく意思疎通がままならない場合、そして収入が平均的日本人男性と結婚する場合よりも劣る場合、こういう場合は結構大変そうです。

さみしいことに、私の友人でも日本人の女性にすっかり見捨てられてしまった人もいるし(収入が高いので離婚はしてない)、逆に外国人の男性と結婚してうまく行かないと悩んでいる女性の友人もいます。ラブラブな時代を知っているからなおさらさみしさを感じながら、結婚って難しいのね、といろいろ考えてしまいます。

そういう大変な部分を夫婦で脱却するために、夫の国に一緒に帰ってうまくいっているカップルもいるので、なんらかの工夫で結婚生活がうまくいくことってあるんだなとも感じています。

私も外国人として他国で暮らしていたことがあって、まだ若かったので大変なことも好奇心が勝って生活をしていましたが、今、同じようなことをするのは結構きついだろうなと思います。あと、外国人が日本で暮らすというのは、国にもよると思いますが日本人が外国で暮らすということよりも大変だろうなと思います。日本の文化がとても好きで、そこにどっぷり浸かれればいいでしょうが、そうでなければストレスはかなり多い。だから、身近にいる人がハンデがある人という認識で気配りをしてあげるということは必要なことだと思っています。

日本人同士の結婚でも今回のような事件は起こりうる事なので、ここで一概に事件についていろいろなことは言えないですが、これからもっともっと増えていくだろう国際結婚について、いろいろまた考えるきっかけになりました。
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食料品の値上げでバターがなくなるんだって?

週末、日本在住の友人のスコットランド人と話をしていたら、彼が血相を変えて、

「日本からバターがなくなるんだって?」
と聞いてきました。

「え?そんなの聞いたことないよ」
と言うと、彼はイギリスの新聞のコラムのページを広げて

「ほら、ここに1面日本の食糧危機について書いてあるんだよ」
と見せてくれました。

そこには、現在の原油だかと穀物などの先物価格の値上がり、そして中国などの食料の需要が増えていることなどが原因で、もうしばらくすると世界中のおいしいものがいくらでも食べられる環境にある日本の食はすっかり衰退してしまう、という記事が書かれていました。新聞名を聞くのを忘れましたが、イギリスの一般紙だと彼は言っていました。

「このままだと、日本からバターがなくなるのも時間の問題だし、誰もがささやかな暮らしをしなくちゃいけなくなるんだね。僕はベジタリアンだから、それほどあれこれと食材がなくても困らないかもしれないけど。みんな僕のように素食を食べて生きていけば、それほどたいした問題でもないような気もするけど」
とベジタリアンの彼は楽しげに言っていました。

確かに日本でも食料品や燃料の値上げはニュースになっているし、実感としてトイレットペーパーも何もかもが高くなったなあ、と生活が大変になっているという印象はあるけれど、その記事に書かれていたような深刻な内容は一般のニュースなどでは少なくとも一般庶民である私の耳に届いてこないです。(こうして海外の新聞を見て、おお、やばいのかな?と思ったりすることになるのですが)

「本当にバターが消えるなんて想像できないけどなあ」

いったいどうなるんでしょうか?
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桜、花見という、日本の文化に対する外国人の思い

毎年20人前後で花見をして、そのうち何人かは外国人です。みんな喜んでいてくれている様子があるのですが、日本の人と同じような感覚で楽しんでいるのかなあ、多分違うんだろうなあ、といろいろ想像しています。

昨日、たまたまアメリカ人の知り合いと話をしていて、彼が、今年は花見もせずに終わっちゃたよ、と言うものだから、でもアメリカでは花見をしないだろうし、花見ってしたいの?と聞いてみました。

そうすると、
「いいや、そうでもない」
という感じに言っていました。

じゃあ、彼にとって花見ってどういう気持ちでするものなのかなあ、と思って、
「日本人にとっては新年度ということでいろいろなことが変わる節目の時期が重なったり、お祭りのような気分になったりと、思い入れが結構あるものなんだけど、どうなのかな?」
と聞いてました。

すると、
「そうだね、僕はお酒も飲まないし、実のところ桜ってたとえは悪いけどトイレットペーパーみたいな感じに見えたりもするし、そんな特別きれいだとは思わないよ。よく散っていく姿が侍の心を表しているなんて聞くけど、どんな花だって散るし枯れるし、そういう姿を見て感傷的になんてならないよ」
と淡々と答えてくれました。

そうか、トイレットペーパーみたいなんだ、となかなか面白くその話を聞いていましたが、ちょっとそれは日本人としては寂しい意見でもあるなあとも思っちゃいますね。

でも、遠い国で取れるトロピカルな色をした大きな魚が、どうしてもおいしくは見えないようなものなのかなあ。

とはいえ、今年の花見もみんなで楽しくやりました。桜はかなり散っちゃっていたけれど、人はいっぱい出ていて、そういうウキウキした気分の雰囲気だけで、楽しめちゃうというのがあるんですよね、きっと。
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