9.11同時多発テロ 20年前のあの日 私はインドに
9.11同時多発テロ
あれから20年が経つなんて、時間ってあっという間。
記憶ではコンパートメントの同乗者にイスラエル人がいて、徴兵制のこと、宗教のこと、ジョン・レノンのの歌のような世界がやってくる時が来るのか?なんてことを話していた。
ヴァーラーナシーに到着。行き当たりばったりの旅をする私だけど、コルカタのマザーテレサの家を訪ねること、ヴァーラーナシーでガンジス川を見ることは、必ずやりたいことだった。
念願のヴァーラーナシー!
宿に向かうタクシーに乗り込む。
すると運転手が、
「第3次世界大戦がはじまった」
などと、訳のわからないことを言う。
何かおかしな映画でもみたのだろうか。
宿に到着し、チェックイン。
少し休んでコモンスペースに行くと、西洋人の女の子が泣いていた。
「なんで私の誕生日にこんなことが起きるの?!」
私は何がなんだかわからず、さっき運転手から聞いた話は本当だったのかな、と思った。
取り乱している彼女の周りで、友人たちが帰国する段取りを相談している。
とりあえず町の様子を見てみようと散歩に出かけるも、何か変わったことは感じられない。どころか、ヴァーラーナシーである。人々の自然との一体感のある空気、生と死の境界線がない世界。
町の広場でチャイを飲んでいると、片足のない、目が美しいおじさんが話しかけてきた。彼とはヴァーラーナシー滞在中に何度もチャイを一緒に飲んだ。言葉がわからないけど、何かを話していた。
さて、町を歩いても何も変わった様子はない。ガンジス川の河岸では死体を焼いて煙が上がっているし、死んだ牛が浮かんで流れていく。その川で沐浴する人たちが夕日を浴びて美しい。
2001年当時のネット環境は、今では考えられないものだ。もちろんスマホはない。友人との連絡手段はhotmailだけど、日本語入力ができないから、英語かローマ字だった。時々暇な日本人バックパッカーが、設定をいじって日本語入力可能にしてくれているインターネットカフェもあると、おお!と思ったものだ。ブラウザも日本語対応はしておらず、英語でニュースを読む気力もないし、旅の間は世の中の情報から隔離された状態だった。
日本の社会に馴染めず、ドロップアウトよろしく旅に出ていたような私にはそれがなにより心地よかった。
そんなこんなで、ヴァーラーナシーでは、私はただただ平和に時間を過ごしていた。今でもあの時のことを思い出すと、心がゆったりする。この地球上に同じ時間にあの世界が存在している事実に安心する。
とはいえ、もう20年前。ずいぶんと変わったのかもしれない。
そこに映っていたのは、飛行機がビルに突っ込んでいく映像だった。 飛行機が衝突し崩れていくのを見ながら、彼らは拍手をしていた。
私はこれが第3次世界大戦か、と思いながら、なんとも不思議な気持ちだった。 その後、彼らと食事を共にして普通に過ごす自分についても、今思い出してもフラットな感情しかない。
この世界で起きる出来事はそれほど単純ではない。それでも単純なんだ。
アフガニスタンにいつか行きたい、と思っていたけど、私が生きている間に叶うのかどうか怪しくなってきた。 そこで生きている人たちは、昨日まであった平和な暮らしがあっという間に奪われた。 日本は平和すぎて人事に思えるかもしれないけれど、国と言う視点でなく個々人で見たときには、今、コロナ禍で、昨日まであった平和な暮らしを失った人たちが数多くいるんだと思う。
おそらく、9.11同時多発テロの時、インドで時間を過ごしていたことは、私がいつも曖昧な態度を取ってしまう人間になった原因のひとつかもしれない。この世の中で単純に正しいものとか、正解なんてない。
ただ今そこにある現実に対して、自分が何を感じて、何をしたいのか。
それを考え続けることをやめないで、何を大切にしたいのか。
あらためて、20年前を思いながら。。