旅人文化ブログなんでも版

旅ってなんだ? 旅人ってどんな人?
よく分からないけど、旅って面白い!
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旅の本

本の片付けをすると、だいたいいつも途中で手が止まってしまう。
今日も手元に残す本と売ってしまう本の選別をしていたのだけど、ほとんど、ペラペラとページをめくって時間がすぎてしまった。



旅行関係の本もいろいろ。
でもそのほとんどはだいぶ古くなってきました。
「サハラに死す」の文庫本あとがきを読むと、著者の長尾さんが1976年に南太平洋を旅行した際、そこで出会った、世界を一人で旅している日本の若者たちのほとんどが、この本を読んでいたことに驚かされた、と書いています。

私自身、熱心な読書家ではないので、旅行中や前に読んで影響を受けたということはなく、雑誌の記事を書くお手伝いをしたときに題材として取り上げた中のひとつとしてこの本を読みました。正直私たちの世代にしても、あまりに壮絶ですが、一人旅を長くする時の心情の揺れのようなものはよく分かる。

単行本は、大村一郎さんのシルクロードを徒歩で旅した記録。大村さんとは以前よく話しをする機会がありましたが、一見大冒険をしたようには見えない物腰柔らかな方。

このころの旅は随分のんびりしていましたね。最近はどうも旅そのものも忙しくなっているような気がしますが、その良し悪しは別として、時に立ち止まってもいいから、人生を考える時間が持てる余裕が、この社会にもあるといいなぁと考えてしまいます。

今時の二十歳前後の人たちは、こういう本は読んでいるのかなぁ。私たちの頃はいろいろな人に勧められたり、旅の途中で本を交換したり、そんな具合でしたが、今も変わらないのかしら。


まだ20代前半だった私は、雑誌の記事を書く為、せっせと付箋をはり、線を引いて、がんばってあれこれ読んでいました。線を引いてあるところを見ると、あれこれ若者らしい悩みを抱えていたんだなぁと、少し笑ってしまいます。

とはいえ、今でもあんまり変わっていないんですが。

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小雨の日の風景

傘をさす人とささない人が半々くらいのある日、中野駅南口。

私は傘をささずに駅からの交差点を渡ったところで、キャバクラか外国人パブのティッシュ配りのお兄ちゃんと目があった。
身長と短髪のおかげで夜だとかなりの確立で呼び込みやらに引っかかる私だけど、昼間はさすがに軽く口角を上げてみれば女だと分かってもらえる。テッシュを差し出す手が止まった。

そのテッシュ、私の前を歩いていた老夫婦のおじいさんが受け取っていたのをそっと見ていた。

おじいさんは受け取る瞬間にスピードをゆるめ、おばあさんの少し後ろを歩くことになった。おばあさんは何も気にせずに交差点で信号を待ち始める。おじいさんはそっとティッシュの広告に目をとめて、ハッとした顔をして少しだけ周りをキョロキョロ見渡した。その後、さっとそのテッシュをポケットに突っ込んで、信号待ちをするおばあさんの横に並んだ。

だがおじいさん、何やら緊張した様子。
ティッシュを入れたポケットから手を出せない。
おばあさんが何やらおじいさんに話しかける。雨のことでも話しているのか私には聞こえないけれど、おばあさんの表情はにこやかだ。
おじいさんは緊張しながらも笑顔で応対しているが、手とポケットは一体化してしまったように離れない。

信号が青に変わり、二人は横断歩道を傘をささずに一緒に歩いていった。
おじいさんがポケットから手を出すのは最後まで確認できなかったな。


日常を旅の気持ちで過ごすと、こんな風景にはよく出会います。
別になんてことないんだけど、いいなって。
久々の更新で、意味がないことを書いてみました。
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怪我の功名

もしかしたら、書いたもの全部無くしちゃったかも。
久々に旅人文化のページを開いてみたら、データがすっかりなくなっている。
ずいぶん長い間いろんなことでせわしなくて、文章を書くという思考と作業ができない時期が続いていた。
大好きなビョークが東京にライブに来たというのも終わった後から知ったし、個人的な時間がどこかしらでストップしていた。

そんな感覚からようやく抜け出してきた気がして、またここに何か書けそうだなとこの週末にふと思った。いつもの週末と同じく地下鉄に乗り、九段下駅で乗り換える。この時に職業人としての自分が切り替わる。写真屋さんに切り替わった自分が、まずは写真のことを書いてみよう、と帰り道に思っていた。

と、張り切ってみたはいいものの、なんとこれまで書いたものすべてが出てこない。
もしや。。サーバーの期限が終わってしまって消えてしまったんだろうか。2006年にはじめてからそこそこ記事をたくさん書いた。内容はたいしたことけれど、それでも年月をかけて積み上げてきたものが、自分のうっかりでいつの間にか消えてしまうのは寂しい気がする。
冷や汗をかきながらレンタルサーバーにログインしてみる。自分が記録しているパスワードでうまく入れない。これはもう終わりか、と思いながら、パスワードの再確認をしてみるとこれができた。
 
結局、支払い期限が切れていて、一時的にストップという処置が取られていただけで、データ自体はまだ残っていた。いつもならコンビニ払いで支払っていたけれど、今回ばかりはクレジットで。すぐに回復して一安心。
 
部屋にたまっている何年も読まない本、着ない服、使わない物なんかと同じで、それが本当にないとダメなのかと思えば、全然そんなことない。実際に私は今までの人生で2回ほど自分の物理的な私物をほとんど失っているけれど、それで人生がダメになったかといえばまったくそんなコトはない。そしてその時のことを思い出してみて、失った「モノ」で寂しいなという感覚で覚えているのは、一度目は中学の時に吹奏楽でつかっていた楽譜、二度目は母親が若いときに着ていた着物。それ以外のもので寂しいなと思ったかどうかは思い出せないくらい。

ま、でも、絶え間なく続いている日常だと、そういう悟った気持ちもなかなか持ち続けられないもので、やっぱりなくなっちゃうといやですね。ということで、残ってて良かったぁ。

さて、写真の話。
私は撮影仕事の時は準備にあたって、まずカメラのセッティングとチェックをしてから、手洗いに行き、その後ストレッチという手順をほぼ規則正しく行う。その間はできるだけ人と雑談はしない。撮影に関することは話すけれど、別の話が入ってくると集中力が高まってこないから、せっせとストレッチをする。

けれども先週は研修生を教える任務があり、なんとストレッチをしないで撮影本番に入ってしまった。
そして、その撮影の翌朝。あらま、肩から腕にかけて痛みが。。ちょっと動かすだけで痛い。こ、これはっ、もしや、噂の四十肩っ!(汗)

さすがに30代も後半になると、体にもそれなりにガタが来てもおかしくないので仕方ない。でもやっぱりちょっとショックだなぁ。

しかし、です。
怪我の功名って、こういうことをいうのか、ってね。

右の肩や腕の痛みを抑えて撮影するためには、右肩にかかっていた負荷を左に持って行く必要がある。
そう思ってバランスを変えてみたところ、それまでのホールディングがやや無理があるというのが分かって来た。

そして左に極力重心をおくことで、以前フィルムカメラ時代につかっていたEOS1時代のバランスを思い出す。あのときはほぼパーフェクトで、カメラたこなんて出来なかった。マーク靴任發匹Δ砲同じようなバランスで撮影できないか、と構えてみる。なかなか難しいんだけど、そうしているとなんと写真自体が若干変わった。たったそれだけでほんの少し写真が良くなった。どう良くなったとかは感覚的なところもあるから説明が難しいんだけど。
 
経験とか、体に身についたものとか、習慣とか。
それがあるから仕事が長く続けられているんだけど。
でもこういう時に「身についたと思っていたコト」が、もっと良いものを創り出す邪魔をしていることにもなっていたりするっていうのに、日常では気がつかないものだなぁ、と思いました。

そういうわけで、そろそろ一人旅にでも出て、日常で忘れているコトを思い出しに行こうかななんて思っています。
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パソコンの遅さ、それから配管のつまり

「私、旅行中だから全然気にしないわ」
もう10年くらい前のパソコンでインターネットをしながら、ドイツから来た彼女はほんの少しだけ微笑んで言いました。

ゲストハウスのゲスト用のパソコン。
無料で使えるとはいえ、とにかく遅い。今時、そんなに遅いパソコンを見つける方が難しいかもしれないってくらいに遅い。

「メールをチェックするだけだから」
そう言って彼女はほんの1秒もイラっとしない。
「これが仕事してるんだったら、大問題だけどね」

今日より明日は、もっと早く、もっとたくさん、あれもこれも、とも言えるような日常を送っていると、ふとこうした会話で、旅に出た時の自分を思い出します。


さて、私が住んでいる部屋は、築年数が私よりも古いから、なかなか良い感じに年季が入っています。昔の建物では当たり前ですが、配水管が細くて、注意して使わないと詰まってしまいます。
長年、注意して、気をつかって水を流していたのですが、ここほんのしばらく注意を怠ったら、あっという間に詰まってしまいました。

配管工事も自分で経験済みなので、まずは見られる部分だけ、どこの配管がどのように繋がっているのかチェック。無理矢理に付け足してある配管もあり、どこが一番高くなっているのかなども、一斉に水を流してみてチェック。

それから、スッポンや、グリグリパイプ(正式名知らないです)を駆使して、あれこれやってみる。

そうこうしていると、つまりはまだ解消されないけれど、配管の仕組みやら、何がどこら辺で詰まっているのか、こっちでスッポンするとあっちに押し出されるっていうことが分かってきて、そういうひとつひとつが面白くなってくる。

つまりが解消されなくって、何が面白いのさっ!って思われそうですが、なんとなく、これってパソコン遅くてもいいよ、別にっていうのと同じような気がしました。

結局のところ、時間を無駄遣いするっていうのは、何の役にも立たないし、誰のためにもならないけれど、面白い。

旅なんてものは、その最たるものであるっていう風に思ったり。

あ、でもつまりが解消されないと困るので、そろそろ焦らなくちゃいけないな。あと、ゲストハウスのパソコンを新しくしなくちゃいけないな。これが現実の生活との折り合い。
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あけましておめでとうございます 2010!

あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年のお正月は元旦にはお休みをいただき、2,3日は外国人たちと一緒に、御岳山の武蔵御嶽山神社への初詣、そして御岳在住の写真家吉村さんのおうちへお邪魔してきました。
とてもよいお正月を過ごすことができました。

今日はまず元旦の写真を。

2010年 元旦
今年最初のショットです。すみません、猫ばかで。。

2010年 元旦
お正月ということで、朝一で抹茶を立てて飲みました。いつもは慌しくコーヒーを飲んで仕事に行くという毎日なので、ゆっくり抹茶を飲めるのは幸せですね。
その後、お雑煮とお節を食べて、テレビで駅伝をちょっと見て、ウトウト少し昼寝。昨年末は、相当に忙しく、体がとても疲れていたので、のんびりとできてよかったです。

2010年 元旦
初詣は2日に御岳で行く予定だったので、あるいて20分くらいの哲学堂公園へ散歩へ行きました。閉まっているかなと思ったのですが、インターネットで調べると元旦から開いていると書いてあったので、駅伝が終わる頃に身支度を整えて外へ。
みんな初詣に行くからか、哲学堂公園はすごーくすいてました。全部で10人くらいしか人がいなくてびっくりです。とても静かで、のんびりした気持ちになれました。

2010年 元旦
梅のつぼみが膨らんでます。

2010年 元旦
たくさんの影と自分の影。

2010年 元旦
貫禄のある、のらねこさんにも会いました。とても人懐こかった。

2010年 元旦
昨年、新しくできたモニュメントです。

哲学堂のブログの説明によると:
「哲学の庭」  とは
ワグナー・ナンドール氏が1994年に完成させた3組24体からなるブロンズ像です。
1組はハンガリー・ブタペスト市『ゲルトの丘』に、
2組は栃木県益子町『ワグナー・ナンドールアートギャラリー』に建立されていました。
今回、益子町の1組が哲学堂公園に寄贈されました。
彫刻は3つの輪で構成されており、
第一の輪 「アブラハム」「エクナトン」「キリスト」「釈迦」「老子」
第二の輪 「達磨大師」「ガンジー」「聖フランシス」
第三の輪 「聖徳太子」「ユスティニアヌス」「ハムラビ」の計11体です。

ワグナー・ナンドール氏
ハンガリー出身の哲学者・彫刻家。
1969年移住の為来日し翌年栃木県益子町にアトリエを建設。
その後、日本で芸術作品をはじめ、建物や庭、家具などを設計、せい作されました。
ここでは、簡単に表せないような波瀾万丈な人生を送られてます。

ということで、区報で案内を見て、そのうち見に行きたいなと思っていたのですが、実は区報の写真を見たときにはそんなに期待をしてませんでした。。珍しいパターンだと思うのですが、写真よりも実物のほうがずっと良かったです。元旦から、なんとなく、平和について考える時間となりました。

2010年 元旦
帰り道なので、ちょっとと思い、北野神社と新井薬師に立ち寄ってきました。例年は並んで初詣をするのですが、御岳に行く予定でいたので、外から眺めるだけ。というか、たこ焼きを食べただけです。こちらは哲学堂とはちがってすごい人です。15分くらいの距離の場所にあるんですが。

なかなか充実の元旦でした。
夜は日本酒を燗にして晩酌。お正月の感じ。
年末はこのままでお正月を迎えられるのかと心配でしたが。。

ということで、良い感じの年の始まり。
でも、年賀状がまだできてません。
今回はお正月の写真を使って年賀状を作ろうと思ってます。。

次回は御岳の写真をアップします。

もう一度、
本年も旅人文化をどうぞよろしくお願い申し上げます!
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喫茶店での出来事。

週末の夕方、最近ではだんだんと少なくなってきた、喫煙席がほとんどの古い喫茶店。私はタバコは吸いませんが、吸っている人と一緒にいても気にならないし、いわゆる喫茶店が好きなので(カフェも好きですが、喫茶店とは違いますよね)、そのお店には考え事をするためか、本を読むために一人で時々出かけます。

週末になると、そのあたりのお店はどこも満員で、その喫茶店もほとんど満席。幸い、角の暗い小さな禁煙席がひとつだけ空いていて(禁煙席はこのお店には3席しかないんだけど、多分喫煙者のお客さんが多いので空いてたんだと思います)、そこに通されました。

隣の4人掛けの席には、4人掛けの席が2人掛けに思えるような体格の外国人の男女が2人ずつ座っていて、熱心にパソコンの機能などについて話をしていました。

私はその日は朝から撮影の仕事が入っていたので、昼ごはんは食べずにいて、でもまだ夕飯の時間には少し早いかなあという感じだったので、アイスティーと一緒にピザトーストを頼みました。

このお店には時々行くのですが、この日は混み合っているからか、それとも店員がなれていない人たちなのか、注文を取るのも、お水を持ってくるタイミングも、なんとなく違和感がありました。でも、ちゃんとアイスティーがまず注文どおりに来たので、本を読んで、時折、隣の外国人たちの話しに耳を傾けて(声がやたらに大きいから、聞きたくなくとも聞いちゃう感じで)、アイスティーをやはりちびちびと飲んでいました。ピザトーストを待ちながら。

そうこうしていると、若い女の子のウエイトレスが、その4人のテーブルにもそれぞれに注文したコーヒーやらなにやらを持ってきて、
「大変お待たせいたしました」
と彼らに声を掛けていました。

何しろ4人掛けの席が2人掛けに思えるくらいなので、私はウエイトレスが狭い隙間に体を入れられるように、本を読むのをいったん休んで、顔を上げて少し体をずらさなくちゃいけなかったのですが、その状態だったので、ウエイトレスが下がるまでという感じでで、そっと外国人たちの方を見ていました。

外国人たちは、そのウエイトレスが全ての飲み物をテーブルに置き終わると、嬉々として、
「アリガトウ」
と声を掛けていました。
現地の言葉でお礼を言うのって、結構、心ときめくというか、楽しいものだよなあ、と私も心の中でその一瞬は思って、また本に目を落とそうかと思った時、
そのウエイトレスは毅然として、
「I am chinese」
と。

外国人の彼らは、しばらくの間言葉が出ずにいました。そして、彼女が去った後に、そのことについてひとしきり10分ほど話しをしていました。日本人と中国人はどうやったら見分けがつくのか。こういう場合は、中国語でもう一度返したほうがいいのか、などなど。

私はまた本を読むふりをして、しばらくその話しを聞いていましたが、なんだかおかしくて笑ってしまいそうでした。でも笑ってしまう前にピザトーストがやってきて、ピザトーストをもってきたのが、その中国人のウエイトレスだったので、ありがとうとは言わずに軽く会釈をしました。

ピザトーストを食べながら、でもこういうことをおかしく思って笑うのは、ちょっと私はひねくれているのかな、なんて思い、また本を読み始めました。
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確定申告の季節

確定申告は花粉症と共にやってきて、雨でも晴れでも本当に憂鬱な季節です。

さて確定申告ですが、去年からe-taxを使って申告してます。去年は、カードリーダーを購入してそのソフトをインストールしたりと、申請そのものよりもパソコンのセットアップかなり苦労しました。こんなことなら、書類を提出しに出向いたほうがはるかに早いよなあ、って思ったものです。

でもさすがに今年は2年目だから去年よりも楽だろうと思って取り掛かったのですが、甘く見ていました。。

結論から言うと、去年、パソコンに導入したシステムはそのままでは使えず、アップデートしなくちゃいけないなど、結局またパソコンをいじる作業が必要でした。国税局やe-taxのホームページを見ても、今年初めての人のためにはそれなりに情報があるのですが、去年導入した人はどこからどのようにスタートしていいのかがさっぱり分からないといった状態です。

しかも、去年e-taxの控除を申請した人は、もう今年は使えないとのことで残念。。セキュリティの問題があるから、複雑になってしまうのはやむを得ないと思うけれど、ディバイスマネージャーを見る必要があるとかっていうのは、ある程度パソコンが使えて、しかも時間と根気がないと嫌になっちゃいますよね。

途中で、ウェブ上で得られる情報をこなしても送信ができなかったので、電話料金が有料のサポートへ電話をしたのですが、ウェブ上で得られる情報を繰り返しやらされて、最終的には、それはここの管轄でなくて、各役所かリーダーのメーカーに聞いてください、とのことで、これまた、イラっとした瞬間でした。でも、サポートの担当にそのイラっを伝えても仕方のないことなので、お礼を言ってきりましたが。。それで、ここで愚痴ってます。。すみません。

結局、またブラウザーなどあれこれといじってみて、何度も再起動したりして、そうしたらできました。原因は今ひとつ分かりませんでしたが、とにかく申告が終了したということでめでたしです。

私がトロイからこんなことになるのかと、実はちょっと不安であったのですが、知り合いは去年挑戦して断念したっていうことで、やっぱりアレだって税金を使って作ってるわけだろうから、みんなが使えるシステムになんとかしてほしいなあと思います。

来年の今頃も同じ愚痴を書くのかなあ。
確定申告は終わりましたが、花粉症はまだまだ続きます。。
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世界的な閉塞感は、旅人の心にも

私が旅人らしく旅をしていたのは、大体今から10年少し前からすう年間のころ、東京での忙しい生活が始まる前。90年代の最後の方と21世紀が始まっての初めのほう。

10年一昔とはよく言いますが、この間に世界の状況はずいぶん変わりました。

それでも、旅人の心というものはそれほどまでに変わらないものかな、と考えたりしていましたが、やはり、旅人もその時代時代で変わっていくものだなあと、この頃実感として感じています。

アメリカ発の世界で起こっている不況と言われるこのごろですが、世界中で閉塞感が感じられはじめたのは、実際のところ、この不況が起こるずいぶん前からのことだと、多分、多くの人が感じていたことではないかと思います。

日本ではまだ、決まった地域の路上でタバコが吸えないという程度の禁煙ブームというか運動というか、ですが、イギリスではしばらく前にパブでも吸えなくなって、おととい、パースから来た男の子と安い居酒屋で飲んでいるときに聞いたら、オーストラリアでも今ではパブでタバコは吸えないんだそうです。

オーストラリアというと、私は1年間滞在していたその経験から、政治はちょっと偏りを感じる部分もあったものの、生活レベルで言うととにかく人がのびのび暮らしているというイメージが強いし、とにかくビールを夕方から飲んでゲラゲラ笑っているという感じなので、タバコを吸えないっていうのは、どうかしらと考え込んじゃいます。それで良いのかな、オージーって。

これは、非常に私の勝手な意見だけれど、肥満大国って罵られても、どうしようもなく好きだから毎日マクドナルドを食べるんだ!それで多少早死にしたって幸せなんだよ!っていう考えは、私は好きだったのだけれど、そういう感じもなくなってきているのかなあ、って気がします。

この間は、知り合いのオージーカップルに招待されて、丸ビルにある「オーストラリアレストラン」に行ったのだけど、私の行く前の想像していた、大量のフィッシュアンドチップスと大ジョッキビールっていうのはなくって、フレンチのような「鶉のローストわさび風ソース」なんていうのとか、これがオーストラリア料理かあ、ってかなりびっくりしました。

確かに移民が多いので、料理は相当に良いものが多かったですが、そんなにいわゆるコジャレタ感じのレストランが10年前にはなかったような気がします。(貧乏だったから気がつかなかったのか。。)この10年間でいろいろなことが変わって、これがオーストラリア料理っていうカテゴリーで丸ビルにやってきたという事実は、すごいことなんじゃないかって感心しながら食べてました。

と、話がちょっと飛んでしまいましたが、たった10年でフィッシュアンドチップスでなくて、フレンチのような洗練された料理が、素敵なインテリアのお店で食べられるスタイルが普通になったのだけれど、一方パブではタバコは吸えなくなったということが、ほんの小さなことだけれど、いろいろなことに繋がっている気がします。

同じように旅も洗練されてきて(こういう言い方が適当かどうかわからないですが)、旅人もずいぶん変化をしたなあ、とこの頃は感じます。

確かに、例えば10年前の私たちの旅は20年前に旅をしていた人たちに比べると、甘い、っていう旅だったけれど、気分的にはやはり今よりもっと自由に旅をしていたような気がします。のびのびと自由に。

それは、それぞれの旅をしていく土地では、もっと情報がなくて、知っている人も、時には言葉さえ全く通じなくて、ある意味では自由ではなかったのですが、現地の人たちと触れ合ってみてそこで自分で考えて選択をしていくという自由がたくさんありました。

そして、選択する時に、例えばそこに多少のリスクがあっても、ご飯を食べておなかを壊しちゃうかもしれないとか、とある宿に泊まって宿のオヤジが夜中にベッドルームに忍び込んできて顔をひっぱたかなくちゃならないとか、長距離バスが故障で止まってしまって一晩の間道で寝なくちゃいけないとか、そういうことも自分が選択した結果として、旅人として相当に楽しんでいました。(もちろん、そのときは必死ですが)

旅人であれば、もっと自由にあらゆる出来事を風のように受け止めれば、という考えは古くなっていくのかなあ、なんて思います。

この頃言われる社会の閉塞感は、大きなところからやってきているようにも見えるけれど、自由人とも思われる旅人でさえも抱える、小さな小さな選択とか自由の変化が、この空気を作っているのではないかと思うこの頃です。
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今こそ、旅人の心で!

このところ、世界的の不況と言われ、私の友人にも雇用の形態の変更を迫られたり、実際に何らかの影響を受けている人もいます。

でも、それよりも、直接には何も影響を受けていないけれども、とにかく暗いニュースというか雰囲気に飲み込まれて、何かに引っ張られていくように沈んでいってしまう人たちが、なんとも多いような気がします。

そういう私も、このところ、気持ちが落ち着かず、これはとにかく忙しいからだ!とも思っているのですが、もしや、この世の中の雰囲気に知らず知らずに、ジワジワと侵されているのかもしれないなんんて思ったりもします。

そうこう考えているうちに、こんなときこそ、旅人の気持ちを思い出して!と。

旅の途上でも多くの事件が世界が起こっていましたが、特に私にとって大きかったのが9・11。

あの事件が起こった時には、以前にもここに書きましたが、私はカルカッタ(コルカタ)からバラナシへの夜行列車に乗っている最中で、事件のことをはっきり映像で見て認識をしたのは、それから何日もあとのことでした。

その間も、何かが起こっているという不安は確かにあって、友人たちにメールを送ったりしていました。それでも、何もいつもと変わらないバラナシという土地で、ガンジス河を眺めて過ごしている分には、正直なところ、それが世界的にどんなに大きな事件であったとしても、そういうことはそこでは、河に流れていく命の果てた牛の人生に起こった出来事と何が違うんだろう、というどこか超越してしまっている空気が流れていました。

世界を旅していると、世界の出来事と近くなるようにも思うのですが、「心」という意味では、客観的になっていくのかな、という気がします。
でもそれでいて、人の心が人の生きる世界を変化させていく。

今年も残り3週間くらいで、友人たちと鍋でも囲む時間をたくさんもてれば、なんかいいなあ、と思っています。
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中央線沿いの夕日

中央線 夕日

線路の向こう側に日が沈んでいきます。
東京の町を歩いていると、時に、こんな風景に出会います。

しばらく夕日を眺めて、辺りが暗くなって、そろそろと思いまた歩き出すと、目の中に太陽の光がチカチカ残り、夕飯のことなんかを考えたりします。
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