旅人文化ブログなんでも版

旅ってなんだ?
旅人ってどんな人?
よく分からないけど、旅って面白い!
<< May 2008 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

渋滞はかつて本当に楽しいイベントでした

知り合いがゴールデンウィーク中に御殿場のアウトレットに出かけたそうです。30キロの渋滞に巻き込まれて散々だったよ、と嘆いていました。それで何を買ったの?と聞くと、ネクタイ、だって。それは嘆きたくなりますよね。

連休だと渋滞情報がテレビなどでやっていて、ああ、混んでいるのによく出かけるよなあ、なんて思ったりしながら、でもそういえば、と子供時代を思い出しました。

かつて親が運転する車に乗ってどこかに遊びに連れて行ってもらって行き帰りに渋滞に巻き込まれていたけれど、そういえば子供の頃は渋滞もそれ自体が楽しかったなあと鮮明に記憶がよみがえってきました。

妹と後ろの座席で一緒に渋滞の歌を作って
「まーだ続いてるー♪」
なんて、延々とそんな馬鹿げた歌を歌って楽しくて楽しくて笑い転げていました。

今思えば、親はどういう気持ちで運転してたんだろう、って考えちゃいます。嫌な顔せず、いろんなところへ連れて行ってくれたなあ。

親になれば分かる気持なのでしょうね、多分。
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

冒険心、旅心。

「まりりんはよく失敗するよね」
とちょくちょく言われます。

とくに言われるのが、食堂とかレストランとかを選ぶような日常の出来事。それ以外にも結構大きな何かの決断に対しても、自分でもよくそう思います。かなり失敗が多いんです。お店に入ってから、ああしまった!と思うことなんてしょっちゅうです。

でも、失敗しないようにするとなると、じゃあ、いつも行っているあの店にしようという風になったりして、それはそれで真っ当なことなんだと思うのですが、どうしても冒険心が働いてしまうのが旅人の性でして、そうこうしているうちに失敗をうんと重ねてしまうんですね。

だからと言って、全て失敗しているわけじゃなくて10のうちの1,2は結構当たったりもするので、当たったときには大喜びして、失敗したときには勉強させてもらったなあと思っていると、どちらにしても笑っていられます。

ということで、今日も多分、ああ、しまった!って思うこともあるけれど、まあ旅人の精神を引きずって生活をするということは、結局そういうことなんだと思って、周囲になんと言われようと失敗をちゃくちゃくと重ねて行こうと思っています。(って、巻き込まれる人には、本当に申し訳ないんだけど。。許して!)
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

ゴールデンウィーク

外国人に、今日本はゴールデンウィークだからと話すと、何でウィークなのに、1週間じゃないのか?とか、1週間ちゃんと続けて休みじゃないのか?とかこの頃聞かれて困っています。

今までそんなこと考えてみたこともなかったけれど、確かにウィークって1週間ですよね。

仕方がないので、これはそういう風に呼ぶ名詞であって、とくに1週間とかそういうことではないんです、と答えるのですが、いわゆるカタカナ語にはそういう説明が難しいものがあって、ただでさえつたない英語なのに、難しい質問に答えるのには本当に苦労します。

でも、ゴールデンウィークって。よく考えればおかしい名前ですよね。

世の中がお休みの時には、しっかり仕事をしている私ですが、ゴールデンウィーク中の東京は、電車に乗っている人などが普段とは違う様子で楽しげなので、そういう人たちを見ているとこちらもなんとなくワクワクします。みなさまはどんな連休をお過ごしでしょうか?
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

鹿児島、屋久島 行くことになりました

友人と飲んでいるときに、6月に用事があって鹿児島に行くという話を聞いて、すぐさま私も同行して良いかしら?とたずねて、即決で付いていくことになりました。この頃は、日々忙しいので、こういうどこかの話にくっつけてというのでないと、なかなか時間が取れません。

ということで、はじめは1泊2日の予定だった彼女のステイは、5泊6日に変更。旦那様、申し訳ございません。でも、どうせ行くならそれくらい行かなくちゃ。飛行機使って遠くまで行くんだもの、用事済ませてじゃあさよならってさみしいです。

今回は鹿児島市内と屋久島に行ってきます。6月梅雨というか雨季真っ只中ですが、雨にジャブジャブ打たれる覚悟で楽しんできます。東京で雨にジャブジャブ打たれていると、ちょっと変人ですが、屋久島でしたらレインギアー来てジャブジャブできそうです。

今日、さっそく往復の飛行機のチケットを取りましたが、1ヶ月以上前だと結構安いんですね。よく考えれば、自分のお金で国内線を予約して乗るのは初めてなので(いつもバスか電車か)勉強になっています。旅割っていうのだと、九州まで最安値の格安バスで行って、そこから電車かバスで下っていくというルートと値段がほとんど変わらない。これ、今後も結構使えそうです。

去年から、屋久島に行きたい行きたいと思っていたので、ひょんなことから願いが叶いました。今からとても楽しみです。
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

食料品の値上げでバターがなくなるんだって?

週末、日本在住の友人のスコットランド人と話をしていたら、彼が血相を変えて、

「日本からバターがなくなるんだって?」
と聞いてきました。

「え?そんなの聞いたことないよ」
と言うと、彼はイギリスの新聞のコラムのページを広げて

「ほら、ここに1面日本の食糧危機について書いてあるんだよ」
と見せてくれました。

そこには、現在の原油だかと穀物などの先物価格の値上がり、そして中国などの食料の需要が増えていることなどが原因で、もうしばらくすると世界中のおいしいものがいくらでも食べられる環境にある日本の食はすっかり衰退してしまう、という記事が書かれていました。新聞名を聞くのを忘れましたが、イギリスの一般紙だと彼は言っていました。

「このままだと、日本からバターがなくなるのも時間の問題だし、誰もがささやかな暮らしをしなくちゃいけなくなるんだね。僕はベジタリアンだから、それほどあれこれと食材がなくても困らないかもしれないけど。みんな僕のように素食を食べて生きていけば、それほどたいした問題でもないような気もするけど」
とベジタリアンの彼は楽しげに言っていました。

確かに日本でも食料品や燃料の値上げはニュースになっているし、実感としてトイレットペーパーも何もかもが高くなったなあ、と生活が大変になっているという印象はあるけれど、その記事に書かれていたような深刻な内容は一般のニュースなどでは少なくとも一般庶民である私の耳に届いてこないです。(こうして海外の新聞を見て、おお、やばいのかな?と思ったりすることになるのですが)

「本当にバターが消えるなんて想像できないけどなあ」

いったいどうなるんでしょうか?
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

桜、花見という、日本の文化に対する外国人の思い

毎年20人前後で花見をして、そのうち何人かは外国人です。みんな喜んでいてくれている様子があるのですが、日本の人と同じような感覚で楽しんでいるのかなあ、多分違うんだろうなあ、といろいろ想像しています。

昨日、たまたまアメリカ人の知り合いと話をしていて、彼が、今年は花見もせずに終わっちゃたよ、と言うものだから、でもアメリカでは花見をしないだろうし、花見ってしたいの?と聞いてみました。

そうすると、
「いいや、そうでもない」
という感じに言っていました。

じゃあ、彼にとって花見ってどういう気持ちでするものなのかなあ、と思って、
「日本人にとっては新年度ということでいろいろなことが変わる節目の時期が重なったり、お祭りのような気分になったりと、思い入れが結構あるものなんだけど、どうなのかな?」
と聞いてました。

すると、
「そうだね、僕はお酒も飲まないし、実のところ桜ってたとえは悪いけどトイレットペーパーみたいな感じに見えたりもするし、そんな特別きれいだとは思わないよ。よく散っていく姿が侍の心を表しているなんて聞くけど、どんな花だって散るし枯れるし、そういう姿を見て感傷的になんてならないよ」
と淡々と答えてくれました。

そうか、トイレットペーパーみたいなんだ、となかなか面白くその話を聞いていましたが、ちょっとそれは日本人としては寂しい意見でもあるなあとも思っちゃいますね。

でも、遠い国で取れるトロピカルな色をした大きな魚が、どうしてもおいしくは見えないようなものなのかなあ。

とはいえ、今年の花見もみんなで楽しくやりました。桜はかなり散っちゃっていたけれど、人はいっぱい出ていて、そういうウキウキした気分の雰囲気だけで、楽しめちゃうというのがあるんですよね、きっと。
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

ルー語が笑えない理由

昨夜、たまたまテレビをつけたらルー大柴がでていて、例のルー語(というのでしょうか?)で話をしていました。

でも、あの言葉を聞いていても、実のところおかしくもなんともなくて、面白さがほとんど感じられないのはどうしてだろう?と思って、ちょっと考えたのですが、理由は簡単でした。

自分も普段、外国の人と話すときに、ああいう風な妙な日本語というか英語を話しているのです。特にこのごろは、日本語が分かる外国人とも多く接する機会もあり、そういう場合には特に日本語と英語が混ざるというか、一体何語で話しているのかが分からないくらいに、妙な言葉で話しています。

たとえば、時間を言うときに、イレブンオクロックでしょ?、となぜか「でしょ」がついたり、「ザッツ、本当に、ビューティフルね」なんて真面目に普通に言っています。もちろん、この場合は相手が「本当に」という日本語を知っているということを、自分も分かっていて話をしているのですが、とくに考えるでもなく、すらすらとこんな言葉ばかり使っています。

ということで、ルー語が面白くないというよりも、あまりに身近すぎて、普通の人に見えてしまうということでした。そう思うと、なんか普段から日常がコメディになっちゃってるという感じなのかもしれません。
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

ビルからクレーンが落ちてくる

10日ほど前、ニューヨークで建設現場からクレーンが落下した事故はニュースではこのように伝えられていました。

アメリカ・ニューヨークのマンハッタンで15日、建築中のビルからクレーンが落下し、少なくとも4人が死亡、10人以上がケガをした。
国連にほど近いマンハッタンの住宅街で15日、建築中のビルから20階建ての高さに相当するクレーンが落下し、通りを挟んだ向かい側にある複数の建物を直撃した。このうち、4階建ての建物は全壊している。この事故で、建築作業員ら少なくとも4人が死亡、10人以上がケガをした。救急隊員ががれきの下に残された人がいないか現在も捜索を続けている。
ニューヨーク市当局は、今回の事故を建築現場で起きた過去最悪の事故の一つだと表現していて、なぜクレーンが落下したのか事故原因の究明を急いでいる。


私が昨年の秋にニューヨークにいたのはあわせて1週間くらい。その間に、規模は小さいものの、マンハッタンで同じような事故に2度も遭遇しました。

ひとつは建設中のビル上から同じくクレーンのようなものが落ちて、下で信号待ちをしていたトラックの荷台を潰してしまったところ。

もうひとつはやはり建設中のビルの窓がバリバリと映画のように割れて、下に落ちたところ。

マンハッタンでは、再開発なのでしょうか、あちこちでビルの建設を行っていて、その下を通るときには怖いなあと思って出来るだけ避けて通っていました。

今回の事故は死傷者が出たのでここまで大きなニュースになったのだと思うのですが、私の印象では小さな事故は日常茶飯事に起こっていて、かなりめちゃめちゃな現場ばかりなんじゃないかなあと感じていました。以前も書きましたし有名な話ですが、地下鉄もタイムスケジュールなんてない感じで、かなりいい加減。ああいう町で世界の経済が動いているのかと思うと、妙に不思議な気持ちがしたものです。

そういう意味では電車も分刻みで運行していたりする日本は、なかなかすごいですね。
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

チベットフリーの署名活動について

前回の続きですが、チベットについて、ノルウェイの友人から署名を集めている団体を紹介されたことについて。

彼とはもうかれこれ10年来の付き合いで、時々メールでやり取りをしています。一度ノルウェイにも遊びに行って家に滞在させてもらったことがあって、家族の皆様にもお世話になりました。1週間くらい家族の中で滞在させてもらい、あたたかい気持ちになったのを今でも覚えています。

そんな彼から、君も興味があると思うからぜひ署名をと。

チベットの問題に関しては興味がありますが、そういう活動については正直なところ、いくらか距離感を感じてしまう部分があります。

前回までのブログで、二人のチベット人に出会った話を書きましたが、この二人に流れている血は同じチベット人のものに違いがないのでしょうが、考え方というか、物事のとらえ方があまりにもかけ離れていることに、今思い返してみると気がつきます。

アメリカに亡命したチベットの独立運動の活動家でもある彼は、話をしていると、やっぱりチベットの人というよりもアメリカ人と話しているという感覚のほうが強い印象がありました。もちろん深く掘り下げて話をしたわけではないので、本当の意味では私なんかは何も分かっていないし、何も言える立場にはないとは思います。単純に考えると彼がしていることは、大事なことなんだと思う。

でも、もう一人のダラムサラに住んでいるチベット人との会話を思い出すと、本当に独立運動のような活動が今でも信仰を中心に生活をしている彼らにとって必要なことなのか?と疑問に思ってしまうのです。

あるいは、ダラムサラのチベット人が言っていた、いつか時代が変わって、ラサに戻って彼らは以前のような信仰生活をできるようになるかもしれない、ということが、今のような世界の感心を呼び集めている現象なのかもしれないと考えることが出来るのかもしれないのですが。

でも、よくよく何度も考えてみても、私にはなにかしっくりこないところがあります。なので、署名はできないなあと。

このことについては、まだまだ時間をかけて考えなくちゃいけないことのように思っています。
- | permalink | comments(1) | trackbacks(0)

インドで出会ったチベットの僧侶

昨日のブログの続きです。

インドで出会ったもう一人のチベット人。

ある日私はとある街で、そろそろ日も沈んであたりが暗くなりかけた時間に山道を歩いていました。山道といっても、舗装がそれなりにされている道です。

トコトコと歩いていると、後ろから車がやってきて私の横に止まりました。


「もう暗くなるから乗っていきなさい。」

小さなトラックのような車の中から声をかけてきた人は、袈裟を着たお坊さん。どうみても人が良さそうだったので乗せていってもらう事にしました。(こういうことを書くと、知らない人の車に乗せてもらうなんて非常識だ!と特に旅の経験のない人に言われたりしますが、旅っていうのは、こういう風に、知らない人にお世話になりながらようやく前に進んでいけるようなものかなと私は思っています)

さて車に乗せてもらって話を聞いていると、彼はチベット仏教のお坊さんだそうで、とても興味深い話をしてくれました。

チベットから彼の仲間たちが亡命をするために山を歩いてこえてインドにたどりついたという話。これは、なんというか河口慧海を思い起こさせる壮絶な話でしたが、彼は当たり前の話のように淡々と話てくれました。

中国からの追っての手を逃れるために、人気のない道なき道を選んで山越えをする。あのあたりの山は日本の山なんかに比べると標高がものすごく高いことから考えると、その大変さは想像もできませんが、とにかくラサにいるよりも命を賭けてでも亡命をする選択が必要だったということですね。

いろいろ話を聞いているうちに私はちょっと不可解に思って、

「どうしてただ逃げてだけいるんですか?」

というような質問をしました。

彼はいくつかこの質問に答えてくれました。
まず、ひとつは、チベット仏教の教えでは、暴力はだめなんだということ。でも、そういう具体的なことよりも私の印象に残った彼の言葉は、

「そういうものなんだよ」

というものでした。

「時代時代にいろいろな出来事が起きて、僕らがここに亡命してすごしているということも、大きな流れの中の一部であって、全てが自然のままになされていること。
中国の政府が僕らを何とかしたいと思うということも、今の時代の中国にとっては必要なことなんだろうし、それが良いとか悪いとかという簡単な価値基準で物事をとらえることはしないんだ。ただ、この運命を受け止める気持ちを持つことが大切なんだよ。
もしかしたら将来、僕らはまたラサに帰ることが出来るかもしれないし、そういう時代が来るのかもしれない。でも、それも自然の流れるままに起こることで、僕らがどうこうすることとは違うことなんだよ。」

彼は淡々とこんなようなことを話してくれました。

そういう話をしているうちに私の泊まっている宿に着き、私はお礼を言って車から降りました。

今でもあのときの山道の感じや、少し湿ったような空気感を思い出すことが出来るのは、とても短い間だけれど彼との出会いがあったからかもしれないな、と今になって思います。

今、世界の人々がチベットの問題について議論し、それぞれの意見を持ち、アクションを起こそうとしている人も多く出てきています。

ノルウェイの私の友人も、中国政府に訴えるための署名を集めるために活動をしている団体のお手伝いをして、私にも署名をお願いするメールを送ってくれました。

このことについては、また次回のブログで書こうと思います。
- | permalink | comments(0) | trackbacks(0)