旅人文化ブログなんでも版

旅ってなんだ? 旅人ってどんな人?
よく分からないけど、旅って面白い!
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レニングラード

ゴールデンウィーク明け、首が回らなくなってもう3週間以上が過ぎた。先週まではパソコンに向かうのも10分くらいで音を上げていた。それでも紹介してもらった病院でのリハビリが合っているようで、少しずつ回復。これ以上パソコン仕事ができないといってもいられないので、覚悟を決めて(って大げさだけど、、それほどに痛いんです)、やっております。

その勢いでブログも。

昨日は先日亡くなったNさんのご友人に招待してもらい、サンプトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団のレニングラードを聴きに行きました。この曲について書かれた書籍「戦火のシンフォニー」もあわせてプレゼントしてもらいました。

その帯に書かれた文章

1942年8月9日、
ナチスドイツに完全包囲された、封鎖345日目の古都レニングラード。
すべてのライフラインを断たれたこの瀕死の街で、ショスタコーヴィチの超大作、
交響曲第7番<レニングラード>を現地初演しようとする八十人の音楽家たちがいた!
なぜ?何のために?
極限状況下、芸術は何の役に立つのか?

前知識を教えていただいた上で演奏を聴いたおかげか、すごく感動しました。これまでの人生、一番感動したコンサートはプラハでチェコフィルハーモニーの演奏を聞いた15年以上も前のことで、今回はそれに次ぐ感動でした。
 
演奏後、日本ではそんな状況下で、同じようなことが起きうるか?という話になり、やはり無理でしょうね、と話をしていました。これは良いとか悪いとか、そういうことではなく、文化の違いというものですね。

最近読んだ発酵に関する本に、Cultureの語源について、もともとラテン語からきており、その意味は「耕す」などということだったそう。

こういうことを言うと、また怒られそうですが、最近、日本を手放しにほめるようなことがあちこちで聞こえてきて、どうも気持ちが悪いなあって思ってしまいます。日本の文化で耕し続けているものって、私たちのどこに残っているかしら?って、自問自答しながら。でも世界のいろいろな人と話をしていると、やっぱり、私は日本人だなぁ、と、つくづく思ったりもするのですが。

そういえば、昔ヨーロッパをウロウロしていたバックパッカーは、ヨーロッパでのコンサートが安いので、普段クラシックに興味のないような人たちもこぞってコンサートを観に行っていたけれど、今でも旅人はそうなのかなぁ?

ああ、首が痛くなってきました。。
これは首が回らなくなってから、借金ができるという逆バージョンにならないよう、、願うばかり。
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Nさん、ありがとうございました。

お世話になっていた人が亡くなった。
この方がいなければ、今のやどやは違うものだったか、あるいはなかったかもしれない。
2001年に準備をはじめ、2002年に一件目のやどやをオープン、その後半年くらいでもう一件。当時は現在の運営とは違いグレーなところでやっていた。はじめの半年は集客にインターネットさえ使っていなかった時代。
その頃はどうにか次の展開を考えていて、中野の不動産屋さんをあれこれ回っていた。ところが、20代半ばいくかどうかの小娘が外国人の住む家を探しているという、これだけですべて門前払いだった。お金もない、スキルもない。

そんな時に出会ったのが、Nさんだった。

今の社長の友人が、たまたまインターネットで社長をみつけて連絡。その友人の方とものすごく久しぶりに会うというところに同行させてもらった。今でも覚えている中野のニュー浅草だ。そこでそのときの事業の悩みを話し、その多分数日後だったか、新宿の西口のヨドバシカメラ前で馬面の男が待っているから相談しなさい、と​連絡をいただいた。

その馬面の男というのが亡くなったNさんだった。
あの新宿の雑踏の中で、Nさんはすぐに見つかった。近くにあった地下に下りて行く薄暗い喫茶店に入り、自己紹介も程々に、早速そのとき抱えていた問題をお話した。この喫茶店はこの間前を通った時にもまだあった。詳しい会話は覚えていないが、Nさんは私の話にじっと耳を傾け、内容を把握し、簡単に質問をし、少し考えて、「中野なら2人いるなぁ、ちょっと考えさせてね、連絡するから」と言い、要件が終わったらすぐに喫茶店を出て、じゃあっ!と手をすっとあげてスタスタと歩いて行ってしまった。この手をあげてあっという間に歩いて帰ってしまうのは、その後、お会いするたびに変わらなかった。

数日後、Nさんから、中野のサンクスのあるビルの4階に行きなさい。もう話はしてあるから、と連絡があった。この時紹介していただいた方にも、今でもとても気にかけていただいてお世話になりっぱなしだ。

そんなワケで、このとき紹介してもらう時はいつも、どこどこに行きなさい、話はしてある、という連続だった。私はそれが、なんだかいい加減な気もしながらカッコいいなと思っていた。今になって思えば、人を紹介するということ、それがどんなに大変なことなのかというのはよくよく分かる。バックパッカーあがりのこんな小娘の話を真剣に聞いて、面白いと言ってくれて、自分の大事な人たちを紹介して、その後も仕事のことをずっと気にかけてくれた。

それから数年後、Nさんがポルトガルに住んでいる時に1週間お世話になったことがある。奥様と一緒だったのだけど、たまたま用事で帰国されていて、2人で1週間過ごすことになった。
毎日いろいろなところへ連れて行ってくれて、朝から晩まで遊び尽くした。毎朝、朝ご飯も作ってくれて、大好きなファドを聴きに連れて行ってくれたり、ヨーロッパの最西端ロカ岬にも行った。博識でどこに行っても歴史や地理を教えてくれた。イワシも食べたし、臓物の煮込みハンバーガーを赤ワインで食べる立ち飲み屋にも行った。すごく素敵な靴屋に連れて行ってくれて、2足靴を買った。一足は履き潰してしまったけど、もう一足は大事にまだ履いている。
その間の交通費も何もかもは全て自分で払ったけれど、ファドとあるレストランだけはごちそうしてくれた。ここは僕が招待したいから、と言って。
バスでスリにあっちゃったり、地下鉄で集団スリに囲まれたりしたけど、なんか笑い話で終わった。
今、私の家の台所には、リスボンで買ったタイルが二枚飾ってある。

何故だか、そんなポルトガルの日々をこの間、ふと思い出していた。あの靴屋にまた行って、履き潰してしまった赤い靴を買いなおしたいなぁ。Nさんはお元気だろうか。連絡をしてみようかな。

その二日後、Nさんが亡くなったとの連絡が。
癌を患ったのちお会いした時に、今度いつお会いできるだろうかと思っていた。
お別れの会には小さな音でファドが流れていて、親しかった人たちだけに声をかけたということだったけれど、とてもたくさんの人が集っていた。
最後に奥さんが短い挨拶。
病院に行く前、亡くなる3日前、自宅でご家族に「楽しかったなぁ、楽しかったなぁ」と話していたそう。
手をあげて、どんどん歩いていく後ろ姿が思い浮かびます。
本当に、おつかれさまでした。そしてありがとうございました。
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テロリストだったかもしれない自分

もしかしたら私もテロリストだった、
そんな人生を送っていた可能性もあったのかな、と思うことがある。
 
90年代の後半から何の価値も生み出さないごくつぶしバックパッカーだった私。昨今の意識の高い旅人とは対照的な、生産性のかけらもない旅の行き当たりばったりの道中、とくに共産圏の国境で常に足止めをくっていた。

その時は神戸からフェリーで中国の天津へ渡り、モンゴルを経由してシベリア鉄道に乗って、ロシアを見た後にヨーロッパへ行こうと思っていた。計画はものすごくざっくり。ヨーロッパ行きはすでに決めていたので日本でユーレイルパスを購入していたが、そこへ行くまでのシベリア鉄道やロシアのビザなどは現地で情報を調達してなんとか行けると思って出発した。

時代は北朝鮮がテポドンを日本に向けて発射するとかしないとかいう頃。
モンゴルの安宿でグダグダしていたバックパッカーと一緒に、ウランバートルにある北朝鮮大使館(モンゴルと北朝鮮は国交がある)にたまごでも投げに行くか!とか笑いながら言っていたが、結局見にはいったものの投げずに帰って来たしょぼい記憶がほんのり残る。

その旅のはじめ、私は北京で長かった髪を坊主にした。
バイト先で出会った中国人の友人の家にお世話になっていた私は、彼女の家の近くの舗装のされていない埃っぽい道を歩いていた。ふと薄汚い床屋をみつけて中に入った。そして髪を剃るように身振り手振りでお願いをした。

長い旅で髪の毛を洗ったり乾かしたりするのは面倒だし、日本ではなかなか坊主頭になんてできない、そんな風に思っていた。でもガリガリ髪の毛を頭頂から剃られて行くと、生来の未練がましい性格が全面に出て来て、下の方の毛だけ残してもらうようにストップをかけた。そこは二本の細い三つ編みにして帰国までずっとそのままだった。三つ編みをほどくと落ち武者のような情けない髪型になった。

女性の店員さんは、はじめは戸惑いながら、でも嬉しそうにがっつりと髪の毛を切って、その毛をきれいにまとめて引き出しにしまった。今思えばあれはカツラ用か何かに売られていったのかなと思う。

そのヘアースタイルで北京からウランバートルへ、意気揚々と、これからシベリア鉄道への旅の始まりだ!と移動。その鉄道には夏のシーズンだということもあり、多くの日本人が乗っていた。みんなと仲良くなって旅もどんどん楽しくなる。が、しかし、モンゴルとの国境で、他の日本人はパスポートを見せてすんなり審査が終わるのに私だけ別室に呼ばれてしまった。

結局、鉄道が出発する間際まで別室に閉じ込められ、直前に戻ってよい、と許可がでてホッとしたのを覚えている。何が問題だったのかの話も無かったので、みんなからはその髪型が原因だ、と笑われた。

このような足止めはその後もあり、自分では一体何がどうなっているのか分からなかったのだけど、しばらくのちのインドでその理由を知ることになる。

バングラデシュから陸路でインドへ国境を越える時。その片田舎のイミグレーションのインド人の係官が嬉しそうにこちらを見ている。

「おまえはテロリストか?」

言っている意味が全然分からない。
キョトンとしていると、彼がパソコンの画面をみせてくれた。
そこには、テロリストと同姓同名、危険人物、というようなことが書かれていた。

インド人の係官からは、名前を変えた方がよいとかミドルネームをつければいい、とアドヴァイスをもらったけれど、そんなことはしていない。だって私の名前は、日本人からしたら「ど平凡」なんだもん。しかも漢字は違うしさ。

その時にようやく国際指名手配中の日本赤軍に同じ名前の人がいて、そのためにずっとあちこちで足止めを食らっていたということが分かる。でもその後に、彼女も、その他の日本赤軍の重要人物も逮捕されたし、時代もすっかり変わったので、足止めを食うことはなくなった。

むかし先輩方と飲んでいて、学生運動のころの話をよく聞いていた。ちょうど私の親世代。
もしも私がその時代に生まれていて、学生運動なんかに興味をもったり、惚れた男がそういう仲間だったら、なんて考えてみる。
そうしたら、おもしろいと思ったら簡単に影響を受けちゃう私なんて、テロリストにだってなっていたかもしれない。ま、そんな器があるかないかは、別の話としてね。
今の時代、そういうことを軽々しく言うとまずいのかもしれない。でもやっぱり時代とか環境とか、人間、自分が考えている以上に大きなものにジワジワと動かされているように思う。

人生って、不思議な巡り合わせだなぁ、と思う。
足止めされて無かったら、旅のルートはずいぶん変わっていて出会う人たちも全然違ったんだよなぁ。
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目に見えない世界を信じる

人生って、不思議!
って思うことは日常の中に時々あるけれど、この日はなかなか面白かった。

ボランティアで手伝ってくれていたロシア人の女の子がヒッチハイクで西に旅立った。ちょうどいいバックパックと丈夫な靴がないので、私のを貸してあげる約束をしていた。あんまりプランも考えずに、ドキドキしながらも、なんとかなるよ!ってはにかむ彼女を見てると、これがバックパッカーだよなぁって思う。

前日の夜、バックと靴を渡すと同時にランチをしようということになり、待ち合わせの時間を迷った末、11:45に中野駅の北口で待ち合わせることに。

そして、当日。
おばちゃん根性で彼女に渡そうとみかんとかお菓子なんかを詰めていたら、5分くらい遅れてしまった。
走って駅に向かう。
ベンチあたりでこちらに手を振る彼女を発見。
すると、日本人の男の子と二人で一緒にいる。

彼氏??一緒にヒッチハイク?

はてなマークいっぱいに近づくと、二人も、お互いびっくりしたんだよ!と笑っている。

なんと彼はロシアの小さな街に留学中に彼女と同じ大学に行っていて、二人は友人だった。2年ぶりくらいの再会。事情があって、ネットの連絡先も無くしてしまって音信不通だった。

彼女が駅前で私を探していたら、なんと彼が前を通りすぎ慌てて声をかけた。
彼は明日海外に行くため、たまたま東京に来ていて、しかも巻きたばこを買うためにたまたま中野に来たんだそう。

とにかく3人でご飯食べましょう、ということになった。

小一時間の食事の間、彼は何度も人生って面白いですね、と言っていた。

私も世界の旅行中や、東京の街で、びっくりするような再会を何度もしたことがある。そして私が一緒にいる時に、びっくりする再会をした人たちが何人もいる。


先日亡くなられた水木しげるさんの、幸せになるための七か条の最後。

第七条 目に見えない世界を信じる。

そういう力って、絶対ある、って自由な気持ちで旅をすればする程に、思うんだよなぁ。
そんなことを思った嬉しい日でした。
 
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夜と霧

ため込んでいた大量の本を売りに出しました。
多分、4〜500冊くらい。

残す本を選別したのですが、その中でこの本を読み返しています。
フランクルの「夜と霧」

言わずと知れた名作です。
とはいえ、私もこの本を知ったのは、20代前半、編プロでお手伝いをしていたときでした。
そこの営業を担当していた方が、僕にとっての大切な一冊、ということで教えてくれたのでした。確か仕事の後にホッピー飲んで酔っ払いながら聞いた記憶があります。
そのあと早速、本屋に行って購入したのがこの本。長い間本棚でひっそりと眠っていました。


これは2000年にアウシュビッツを訪れた時の写真です。
私は先に勉強をするということができない性格で、ほぼ無計画に世界のいろんな場所を実際に訪れて、それで興味が出てきて、もっと知りたいといろいろ聞いたり読んだりします。実際に自分の足でその場所に行って、自分の目で見て、ようやく好奇心が刺激される。旅行中は私とは真逆の方たちがたくさんいて、本を読んで、映画を見て、歴史を知って、その場所に来た、という方達にあれこれ教えてもらったものです。

(だからとりあえず若い人達にはどこかに行って欲しいな、っていう気持ちがあります。日本でも良い。行けば何か興味が沸くっていう場合もあるから。歴史とかじゃなくても、自然とか、なんでもね。)

アウシュビッツは、偶然にも中学校の同級生とそして彼と同じ大学の男の子と一緒に行きました。
みんな1人旅でしたが、宿でポーランド特産の蜂蜜酒を飲んでいたら、何となく話しをして、お互いの共通点を見つけてびっくりしたのでした。
もともと1人で行くつもりだったアウシュビッツでしたが、3人で行けて本当に良かったなと今でも思います。3人でもあの後は夕飯を食べる気にならなかったくらいに憂鬱でした。平和な日本で暮らしていると、人間ってあんな施設を作ってしまうんだということに、信じられない気持ちになります。

 
さて実はしばらく前から体調を崩してしまい、日々の動くペースをゆっくりにしておりました。
昨年は仕事で大工、現場監督、日常の業務、同時進行であれこれで、やっていた時には大変だなぁ、きついなぁ、くらいに思っておりましたが、一区切りついたところで急にがっくりと来てしまったようでした。体重が減って体力がなくなったこと、いろいろなところでストレスを抱え込んでしまったのも原因だと思います。

30代半ばを過ぎると、特に女性はむちゃが祟ってくるみたいですね。

それでも会社のみなさんのおかげでゆっくりと仕事もさせてもらい、できることを日々やっております。撮影も続けられているし、自分のペースでひとつひとつ仕事をさせてもらって回復しています。

そういう中でこの本を読み返して、ああ、やっぱり恵まれてるなぁ、って思うばかりです。

この間友達に、世界中まわってきて、今までで一番おいしいって思ったのは何?って質問されました。
まず頭に浮かんだのは、3.11の大震災の後に食べたコンビニのおにぎりでした。いつも食べるコンビニおにぎりがものすごくおいしかった。

世界はいつでもどこかで物騒だし哀しいことも多いですが、この本は、人間ってすごいって、すごく悪い意味でもすごく良い意味でも、感動します。
私はこの新訳しか読んだことありませんが、とても読みやすいので、まだ読んでいない方はぜひ。
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旅の本

本の片付けをすると、だいたいいつも途中で手が止まってしまう。
今日も手元に残す本と売ってしまう本の選別をしていたのだけど、ほとんど、ペラペラとページをめくって時間がすぎてしまった。



旅行関係の本もいろいろ。
でもそのほとんどはだいぶ古くなってきました。
「サハラに死す」の文庫本あとがきを読むと、著者の長尾さんが1976年に南太平洋を旅行した際、そこで出会った、世界を一人で旅している日本の若者たちのほとんどが、この本を読んでいたことに驚かされた、と書いています。

私自身、熱心な読書家ではないので、旅行中や前に読んで影響を受けたということはなく、雑誌の記事を書くお手伝いをしたときに題材として取り上げた中のひとつとしてこの本を読みました。正直私たちの世代にしても、あまりに壮絶ですが、一人旅を長くする時の心情の揺れのようなものはよく分かる。

単行本は、大村一郎さんのシルクロードを徒歩で旅した記録。大村さんとは以前よく話しをする機会がありましたが、一見大冒険をしたようには見えない物腰柔らかな方。

このころの旅は随分のんびりしていましたね。最近はどうも旅そのものも忙しくなっているような気がしますが、その良し悪しは別として、時に立ち止まってもいいから、人生を考える時間が持てる余裕が、この社会にもあるといいなぁと考えてしまいます。

今時の二十歳前後の人たちは、こういう本は読んでいるのかなぁ。私たちの頃はいろいろな人に勧められたり、旅の途中で本を交換したり、そんな具合でしたが、今も変わらないのかしら。


まだ20代前半だった私は、雑誌の記事を書く為、せっせと付箋をはり、線を引いて、がんばってあれこれ読んでいました。線を引いてあるところを見ると、あれこれ若者らしい悩みを抱えていたんだなぁと、少し笑ってしまいます。

とはいえ、今でもあんまり変わっていないんですが。

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サボっている間に時代はどんどん変わっていく

仕事が忙しいということを言い訳に、このブログもずいぶんと放置状態。が、振り返ると2006年からアレコレと書いて来た。
その間、惰性のように、昨日と今日と明日の違いがあんまり分からない日常を送っているような気がしつつも、それでも振り返ると世の中はずいぶんと変わった。
旅に関しても、少なくとも、私が今生活をしている日本においては、私の旅の価値観というものはすっかり古くさいものと言われるようになった。

去年末にイランに行った時に、世界のあちこちの旅人・旅行者に出会った。
私の、イランを旅する「ザ・ニッポン人」というイメージは、去年現地で出会った日本人の大多数には当てはまらず、かわりにアジア人で言えば、中国、韓国、台湾、香港の人たちが、私が旅をしていたころの旅行者に近いにおいがした。とはいえ、もちろん、あの頃には無かったインターネットというツールがある限り、全世界的に旅は変化している。

それにしても、ヨーロッパの人たちは昔と変わらない、ごくつぶし的、あるいは放浪に近い旅行者に相変わらずあちこちで出会うことができるのに、日本人は何しろタスクをこなすのに忙しいといった印象が強い人たちに多く出会う。どちらでもかまわないんだけど、いったいあれで面白いのかなぁ、と疑問に思ってしまう。

きっとどこか別の場所に日本人の旅人は行っているんだろうと思ったら、最近はインドのバラナシでも日本人はすっかりいなくなったという話を聞いた。これが意味するのは、やっぱり、旅で見たいもの感じたいもの、というものが確実に変わったということなんだろうと思う。

思えば、海外を行き来したり、旅に関わる仕事もしたりと18年くらい。
それは変わるよねぇ。
18年前にもっともっと昔から旅をしていた人たちの話を、すごーい!って目を輝かせながら聞いていた自分を思い出してみる。
そういう気持ちは今でもあんまり変わらないなぁ。

はて、ひとつ。
古くさい旅をしている人たちは、未だにあちこちにいるのだけれど、結局のところ、自分のために旅をしているだけだから情報として外に出ないのですね。情報がちょっと偏っているかなと感じる時に、もっともっと、そういう話が出てくると面白いんじゃないかなぁ、と思いつつ、自分も結局サボってしまうのですねぇ。はあ。
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小雨の日の風景

傘をさす人とささない人が半々くらいのある日、中野駅南口。

私は傘をささずに駅からの交差点を渡ったところで、キャバクラか外国人パブのティッシュ配りのお兄ちゃんと目があった。
身長と短髪のおかげで夜だとかなりの確立で呼び込みやらに引っかかる私だけど、昼間はさすがに軽く口角を上げてみれば女だと分かってもらえる。テッシュを差し出す手が止まった。

そのテッシュ、私の前を歩いていた老夫婦のおじいさんが受け取っていたのをそっと見ていた。

おじいさんは受け取る瞬間にスピードをゆるめ、おばあさんの少し後ろを歩くことになった。おばあさんは何も気にせずに交差点で信号を待ち始める。おじいさんはそっとティッシュの広告に目をとめて、ハッとした顔をして少しだけ周りをキョロキョロ見渡した。その後、さっとそのテッシュをポケットに突っ込んで、信号待ちをするおばあさんの横に並んだ。

だがおじいさん、何やら緊張した様子。
ティッシュを入れたポケットから手を出せない。
おばあさんが何やらおじいさんに話しかける。雨のことでも話しているのか私には聞こえないけれど、おばあさんの表情はにこやかだ。
おじいさんは緊張しながらも笑顔で応対しているが、手とポケットは一体化してしまったように離れない。

信号が青に変わり、二人は横断歩道を傘をささずに一緒に歩いていった。
おじいさんがポケットから手を出すのは最後まで確認できなかったな。


日常を旅の気持ちで過ごすと、こんな風景にはよく出会います。
別になんてことないんだけど、いいなって。
久々の更新で、意味がないことを書いてみました。
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イラン旅行中 キャミール砂漠

ようやくWiFi環境に戻ってきました。私は元々アナログ旅行者なので問題ないですが、FacebookはもとよりLINEも駄目なところが多いですね。

三泊したキャミール砂漠を出てヤズドそして今日シラーズです。


キャミール砂漠のソルトレイクで。
サンセット後の星がすごくきれいでしたよ。


宿にいる黒ねこ。人間が大好き。


夜な夜なこんな感じ。
とても良い人たちに出会えました。


出発の日の日の出。
大自然に癒されきました。

明日は今日宿で出会った人たちと一緒にペルセポリス遺跡へ。
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イラン旅中です

休暇をいただき、今話題の国イランです。

元アメリカ大使館周辺はとっても平和にみえました。


中年の体に鞭打って、フライト疲れが残ったまま18時間ほどバスに揺られてペルシャ湾の方へ。
ミナブという街の木曜バザールをみに。そこで出会った家族に自宅へ招待されてお昼ご飯いただきました。
イランの人たちはとても優しいです。セクハラもちょっとあるけどかわいいもんです。

移動が多くなりそうでWi-Fiも微妙であまり投稿できそうにないですが、できればまた現地リポートします。
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